|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
スーザン・ショーン・ハルジョ(1945年6月2日生)は、アメリカ・インディアンの民族運動家、詩人、作家、教育者、ジャーナリスト、キュレーター、人権活動家。 ==来歴== 1945年6月2日、オクラホマ州エル・レノにシャイアン族・ホドゥルギー・ムスコギー族として生まれ、オクラホマのベッグスにあるムスコギー族用の「割り当て地」(Allotment)で育った。「割り当て地」というのは、オクラホマが19世紀末に、インディアン保留地の保留を解消し、白人入植者用に「放出」した際の、インディアン用に「割り当てた」土地のことである。 電気も水道もない極貧の家庭でスーザンは11年間過ごした。当時の彼女にとっての「豊かさ」は、「氷を入れた水を飲む」ということだった。スーザンは合衆国と最後まで戦ったシャイアン族・アラパホー族の、戦士の精神の中で育ったと語っている。彼女の曾祖父は、シャイアン族の戦士、ブル・ベアーだった。 12歳から16歳までの間、スーザンは米兵だった父親とともに米軍駐留地であるイタリアのナポリで過ごした。ナポリの人々の大家族的な暮らしは、オクラホマのインディアンとよく似ていて親近感を覚えたという。スーザンは父母の影響でシャイアン族とムスコギー族の口承に興味を持ち、詩を書き始め、12歳のときに彼女の詩がナポリの雑誌に掲載された。 家族ともに米国へ帰った後、スーザンはニューヨークでラジオと劇場のプロダクションで働いた。そこで出会ったフランク・レイ・ハルジョ(オクラホマ・ムスコギー族)と結婚し、二人の子をもうけた。以後のスーザンの民族運動は、この1960年代中期に始まった。彼女は信教の自由とインディアンの権利をテーマに、ニューヨークのFM局「WBAI」で週2回、『Seeing Red』というラジオ番組を夫と二人で始めた。これはインディアンに関するニュースと解説を主とした、全米初となる番組だった。また同時に、局のドラマと文芸の責任者を勤め、脚本込みで番組を数百本製作し、即興劇団である「スパイダーウーマン劇場」設立を助けた。またギルバート劇場やサリヴァン劇場の公演で女優を務め、歌も歌っている。 1970年代には、国際女性デーに合わせ、アリス・ウォーカーやニッキ・ジョバンニら20人女性作家の一人として、ニューヨークの「Women's Voices at Town Hall」で「儀式の集会」とする詩を朗読した。 1972年、「アメリカインディアン運動(AIM)がワシントンD.C.で「BIA本部ビル占拠抗議」を決行。「WBAI」スタッフとして夫と二人で占拠ビルを訪問。支援を行っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スーザン・ショーン・ハルジョ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|