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セルビアとコソボの関係 : ミニ英和和英辞書
セルビアとコソボの関係[せるびあとこそぼのかんけい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビア : [びあ]
 【名詞】 1. beer 2. (n) beer
: [せき, ぜき]
 (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers
関係 : [かんけい]
  1. (n,vs) relation 2. connection 
: [かかり]
 【名詞】 1. official 2. duty 3. person in charge 

セルビアとコソボの関係 : ウィキペディア日本語版
セルビアとコソボの関係[せるびあとこそぼのかんけい]

本稿では、2008年に一方的に独立を宣言して以降のコソボ共和国」とセルビアとの「二国間関係について記述する。
コソボ共和国」はセルビア領のコソボ・メトヒヤ自治州を領域として2008年に一方的にセルビアからの独立を宣言したが、セルビアはこの独立を認めておらず、その後も自国の一部とみなしている。本稿では、この「コソボ共和国」を以降は単にコソボと表記し、また単にセルビアといった場合、コソボは含まないものとして記述する。また、以降断りなくセルビアコソボとの関係について二国間関係の語を使用する。
当初、コソボセルビアとの間には全く二国間関係は存在していなかったが、欧州連合(EU)の仲介のもとセルビアとコソボは交渉を重ね、一定の関係が成立するようになった。
== 独立宣言への対処 ==

セルビアは、2008年2月17日のコソボの独立には強く反対した。2008年2月12日、は、予期されるコソボの独立宣言に対する行動計画を策定した。行動計画では、コソボの独立を承認する国への抗議として、当該国から大使を召還することなどが盛り込まれ、実際にコソボを承認した国から大使を召還した。またセルビアの高官はコソボを承認した国のセルビア駐箚大使とは会合をしない措置も取られた〔 ''The economic team for Kosovo and Metohija and the South of Serbia'', 20 February 2008. Retrieved 2008-03-25.〕。は2008年2月18日にハシム・サチファトミル・セイディウヤクプ・クラスニチに対して大逆罪での逮捕状を発行した。
2008年3月8日、セルビア首相ヴォイスラヴ・コシュトニツァは、コソボ情勢への対処をめぐり克服しがたい意見の相違があるとして首相職を辞職し、自らが率いるセルビア民主党の連立政権からの離脱を表明した。2008年3月11日のに合わせて、前倒しでが行われ〔PM Dissolves Serbia's Government , AFP, March 8, 2008.〕〔Divisions over Kosovo cripple Serb government , The Daily Telegraph, March 8, 2008.〕、大統領ボリス・タディッチは「欧州連合加盟の推進をめぐり合意できなかった」ことを政権崩壊の理由として挙げた。
2008年3月24日、セルビアのコソボ・メトヒヤ担当大臣は、コソボを民族ごとの領域に分割する案を示し、国際連合に対してコソボ領内でセルビア人が多数を占める地域に置かれているセルビア政府の関係機関の保全を求めたが〔Serbia proposes dividing Kosovo along ethnic lines , International Herald Tribune, March 25, 2005.〕、大統領および閣内の同意は得られなかった〔 〕。2008年3月25日、首相を辞職したヴォイスラヴ・コシュトニツァは、欧州連合がセルビアの現行の国境を認めるまでの間、加盟交渉は停止すべきだと述べた。
2008年7月24日、召還していた各国駐在のセルビア大使のうち、欧州連合加盟国には大使を復員させた。その他の国々から召還していた大使は、この後10月の国際連合総会で、コソボ独立宣言の合法性について国際司法裁判所に諮るべしとする決議が可決された後に復員した。この決議の直後にコソボを国家承認したモンテネグロおよびマケドニア共和国およびマレーシアに対しては、大使の召還とともに、これらの国々のセルビア駐箚大使を追放する対処をとった。
2008年8月15日、セルビアの外務大臣は国際連合に対して、コソボの独立宣言の国際法上の合法性について国際司法裁判所に諮るべしとする案を提出した。2008年10月8日、この案は国際連合総会にて可決された。
国際司法裁判所は、2010年7月22日にを言い渡し、独立宣言は合法であるとの判断を下した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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