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ダイタクヤマトとは日本の競走馬である。2000年のスプリンターズステークスを出走馬中最低人気で優勝し、同年のJRA賞最優秀短距離馬および最優秀父内国産馬を受賞した。 ※馬齢は旧表記に統一する。 == 戦績 == 3歳の9月にデビュー。ダートで惜しいレースが続いたが、初めての芝のレースで勝利し、2連勝を果たす。4歳春には重賞・オープン特別を走るも勝利を挙げられず、同年夏には900万下条件に降格。その後は1年に1-2勝というスローペースながらも着実にクラスを上げていき、1999年12月に再度オープン入りした。 翌2000年のスプリンターズステークスでは、7頭ものG1馬(含海外G1)が揃ったうえ、自身は函館スプリントステークスでの連対しか重賞実績がなく、前哨戦のセントウルステークスでも敗れていたため単勝オッズ257.5倍という出走16頭中最低人気となった。しかし第4コーナーで先頭に立ち、そのまま押し切って人気のアグネスワールドの追撃をしのぎ切りGI初制覇。鞍上の江田照男ともども大波乱を演じた。続くスワンステークスでも、前走をフロック視するファンが多かったせいか、単勝8番人気と低評価であった。しかし、道中3番手を追走し、シンボリインディ以下を抑えて2連勝を飾った。次走のマイルチャンピオンシップでも、先行馬総崩れの展開の中、直線に入りいったん先頭に立つなど4着に健闘する。これらの活躍により、この年のJRA賞最優秀短距離馬と最優秀父内国産馬に選ばれた。 翌2001年には阪急杯を勝つ。高松宮記念は8着に敗れるが、秋のセントウルステークスでは2着、スプリンターズステークスではレコード決着のトロットスター、メジロダーリングから僅差の3着と健在を示した。同年12月の香港スプリントで12着に敗れたのを最後に(日本ラストランは同年10月のスワンステークス7着)、引退した。 奇しくも自身が勝ったスプリンターズステークス、スワンステークスは父が勝てなかった重賞であり、また父が勝ったクリスタルカップ、高松宮杯(高松宮記念)、マイルチャンピオンシップでは勝つことができなかった。(クリスタルカップは出走取消) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダイタクヤマト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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