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ダンモアの戦争 (Dunmore's War) は、1773年から1774年にかけて行われた、アメリカのバージニア植民地のイギリス人入植者による、ショーニー族およびミンゴ族インディアンに対する民族浄化(「インディアン戦争」)である。 == 概要 == バージニアに侵入してきたイギリス人はインディアンから領土を奪い、植民を進めた。インディアンたちは白人の侵略に対して武力で応戦した。バージニアのイギリス総督・ダンモア伯ジョン・マーレイは、植民地議会に対して、敵対するインディアンへの宣戦布告と、戦争実行の為の選りすぐった志願民兵隊を組織するよう求めた。 紛争の発端はイギリス植民地人の領土侵略による、インディアンとの暴力紛争が拡大したことである。イギリス植民地人は以前に結んだ条約に従って、オハイオ川の南、今日のウエストバージニア州やケンタッキー州を探検し入植する者もいた。インディアンはその地域での狩猟権を持っていた。インディアンの狩猟隊や戦士団による白人入植者への襲撃が続き、白人たちは敵対的なインディアン部族を制圧するために宣戦を布告した。 この戦争は1774年10月10日、ポイント・プレザントの戦いでバージニア軍が勝利した後間もなく終わった。このバージニアの勝利の結果、インディアンは狩猟の権利を失い、オハイオ川をインディアンとイギリス植民地の境界とすることを認めさせられた。 この条約は、白人の要求に従ってインディアンの酋長達が署名するというものであるが、そもそもインディアンの酋長は調停役であって、部族の代表権はなく、指導者でもない。彼らが「署名」(×印を書くだけである) したからといって、部族民全体がこれに従わなければならない理由は、合議制であるインディアンの社会にはない。インディアンはすべてを共有することを基本文化としていて、土地や狩猟の「権利」を他者に奪われるという白人の理屈は理解できなかった。 「酋長(チーフ)」を「部族長」だと勘違いしている白人たちは、「酋長が盟約したから、全部族民がこれに従うだろう」と期待した。しかし前述したようにインディアンの社会は合議制であり、白人の頭ごなしの扱いに、部族員が納得するはずがなかった。当然、インディアン部族で内輪揉めが起こり、条約によってインディアンの権利が奪われたとする交戦派と、これ以上戦争を続ければ結局は力のあるイギリス植民地に皆殺しにされ、さらに領土を奪われてしまうと感じ取った厭戦派との間で紛争となった。イギリスの植民地人とイギリスの政府との間に戦争(アメリカ独立戦争)が起きた時、インディアンの交戦派も喚起され、他の部族にもイギリス入植白人を襲うよう呼びかけたのである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダンモアの戦争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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