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ちょんがれは、ちょぼくれとも呼ばれる門付芸である。詞章の頭に「ちょんがれちょぼくれ」と連続する部分があり、主に上方では「ちょんがれ」と、江戸・東京では「ちょぼくれ」と呼ばれた。しばしば阿呆陀羅経とも極めて近い芸能とされる。同じ祭文系の芸能は概ねレコード吹き込みがされているが、この芸能は吹き込みされておらず音源はない〔地方に伝播した能登地方の「チョンガリ」は音源がある。〕。従って、歌唱法や踊りの有無など芸態の中心部分は不明である。 == 概要 == 以下は、直接伝聞した者の記述や後進芸能の浪曲師などからの取材、今に残る多数の「ちょぼくれちょんがれ本」の研究・論考から各自推論したもののまとめであって、それぞれの説は相矛盾する点も多く、概ねこの芸の名が消えた百年前から今に至り、全体像は依然、茫洋としていることに御注意いただきたい。 「ちょんがれ」は、錫杖や鈴などを鳴らして拍子をとり、半分踊りながら卑俗な文句を早口で歌う大道芸・門付芸で、江戸時代後期の大坂を発祥とする。江戸に下って「ちょぼくれ」と呼ばれるようになった〔「ちょんがれ」と「ちょぼくれ」に違いがあると睨んでいる説もある〕。 語源は「多くの言葉を口早にしゃべる」「口先でうまいことを言って相手を丸め込む」といった意味を持つ四段活用動詞「ちょんがる」の命令形と考えられている。「ちょぼくれ」もまた、願人坊主など大道の雑芸人が、江戸の上野や両国などの広小路や橋のたもとなど殷賑な地で(幕末から明治にかけては簡易寄席とも言えるよしず張りの小屋「ヒラキ」で見られた)、木魚をたたき、舞ったり歌ったりする芸能である。 「ちょんがれ」「ちょぼくれ」の起源は宝暦期の大坂とされるが〔小林直弥「"ちょぼくれ"の研究 : 日本の芸能・舞踊作品に与えた影響」issn=03855910〕、一方では享保期にはすでに江戸にあったともいわれている〔。 「ちょんがれ」「ちょぼくれ」は、祭文とりわけ歌祭文に起源が求められる〔郡司(1953)pp.208-209〕〔山路(1988)pp.139-140〕。江戸時代後期にあって祭文はクドキの影響を受け、現在のニュースのようにタイムリーな話題、とりわけ恋愛や心中といった話題を聴衆におもしろく聴かせたが、その読み口のテンポを速め「ちょんがれ」「ちょぼくれ」そして「あほだら経」と呼ばれた。 歌舞伎舞踊においては、特に門付に特化して「あほだら経」を詠んだ芸能者や「まかしょ」と称された寒参りを代行する願人坊主を描いた曲、あるいは、「ちょんがれ」「ちょぼくれ」の軽快な節回しを駆使した「偲儡師」「喜撰」「吉原雀」といった曲が今に伝わっており、後世の芸能にあたえた影響も大きかった〔小林直弥「"ちょぼくれ"の研究 : 日本の芸能・舞踊作品に与えた影響」issn=03855910〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ちょんがれ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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