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チョ民誼 : ミニ英和和英辞書
チョ民誼[ちょ みんぎ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たみ]
 【名詞】 1. nation 2. people 
: [よしみ]
 【名詞】 1. friendship 2. friendly relations 3. connection 4. relation 5. favor 6. favour 7. kindness 8. intimacy 9. goodwill

チョ民誼 : ウィキペディア日本語版
チョ民誼[ちょ みんぎ]

褚 民誼(ちょ みんぎ)は中華民国の政治家、外交官、医者。国民党員として国民政府に参加し汪兆銘の腹心の1人であった。後に南京国民政府に参加し要職を歴任した。原名は明遺重行
== 事跡 ==

=== 欧州での活動 ===
士大夫の家柄に生まれる。父の褚吉田は、名医として評判があった。褚民誼は最初旧学を学んだが、後に英語や理数系の学問に親しんだ。1903年光緒29年)、日本へ留学し、日本大学で政治経済学を学ぶ。この時、革命思想に傾倒し、1906年(光緒32年)、同郷の張静江とともにフランスへ向かう途中のシンガポールで、中国同盟会に加入した。フランスでは、呉敬恒(呉稚暉)・李石曽蔡元培らとともに中国印書局を創設している。『新世紀月刊』『世界画報』などの刊行物を発行して、革命思想の宣伝に努めた。
1911年宣統3年)11月、褚民誼は、辛亥革命により革命派が掌握した上海に戻る。この時、黄興の紹介により、汪兆銘・陳璧君夫婦と知り合った。褚は、陳璧君の義妹である陳舜貞と結婚している。1912年民国元年)4月、褚は同盟会本部駐上海機関部の総務長に就任した。しかし、まもなく宋教仁国民党に改組すると、これに失望してベルギーに留学する。ブリュッセル自由大学で学んだ。
その後、1915年(民国4年)に、袁世凱打倒活動のため一時帰国した。まもなく欧州に戻り、フランスで蔡元培・汪兆銘らと「華法教育会」を立ち上げ、中国人留学生の支援組織とした。1920年(民国9年)、呉敬恒・李石曽らとリヨン中法大学を創設した。褚自身は、同年にストラスブール大学で医学を学ぶ。1924年(民国13年)、医学博士号を取得した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「チョ民誼」の詳細全文を読む




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