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ティム・ダンカン
ティム・ダンカン(Timothy (Tim) Theodore Duncan、1976年4月25日 - )はアメリカ領ヴァージン諸島セント・クロイ島クリスチャンステッド出身のバスケットボール選手。身長211cm、体重118kg。ポジションはパワーフォワード。NBAのサンアントニオ・スパーズに所属している。 ウェイク・フォレスト大学時代にカレッジバスケの個人賞を総舐めにした後、1997年のNBAドラフトにてサンアントニオ・スパーズから全体1位指名を受けてNBA入り。以後スパーズの黄金期を築き上げ、NBAファイナルを5回制覇。個人としてもNBAルーキー・オブ・ザ・イヤー、シーズンMVP受賞2回、ファイナルMVP受賞3回、デビューしてから2010年まで13シーズン連続で、オールNBAチーム、NBAオールディフェンシブチーム、オールスター(中止された1999年を除く)に選ばれ続けた。プレイに華やかさはないため「地味」というイメージが付き纏うが、その圧倒的な実績から史上最高のパワーフォワードとの呼び声も高い。基本に忠実なプレースタイルからThe Big Fundamentalの愛称で知られる。 == 生い立ち == ティモシー・セオドア・ダンカンはメキシコ湾と大西洋の境に浮かぶヴァージン諸島(アメリカの保護領)のセント・クロイ島で、石工職人の父ウィリアムと助産婦の母イオンの間で生まれた。姉が2人おり(シェリルとトリシア)、姉の影響でダンカンは水泳を始め、トリシアのようなオリンピックレベルの選手になることを夢見た。家族の支えもあってダンカンの水泳の腕は上達し、自由形50m、100m、400mのバルセロナオリンピックアメリカ代表入りを目指し、ヴァージン諸島代表としてジュニアオリンピックにも出場している〔Tim Duncan Biography , jockbio.com. Retrieved April 19, 2007.〕。しかし1989年に巨大ハリケーン(ヒューゴ)が島を襲い、島で唯一国際大会レベルの競泳が可能なプールが使用不能になってしまったことでダンカンは水泳への情熱を失ってしまった〔Questions with Tim Duncan , slamduncan.com. Retrieved January 13, 2008.〕。不幸は続き、彼が14歳の時に母を乳がんで失い、大きな精神的痛手を受けた。バスケットボールを始めたのは中学3年生の時、義理の兄弟の影響を受けてからで、後にバスケット界の頂点を極める選手としては遅いキャリアのスタートであり、始めたての頃はバスケットへの順応に苦労したようである。セント・クロイ・カントリー学校の体育教師は当時のダンカンを「ダンカンはとても大きかった。大きくて高くて、でもその頃の彼はとても不器用だった」と回想している。 ダンカンはこの欠点をエスプコパル高校で克服。4年生の頃には平均25得点をあげる有望な選手となっており、いくつかの大学の関心を引いた。16歳の時にはNBAスターのアロンゾ・モーニングとの5対5のピックアップゲームに参加する機会を恵まれており、この試合を見ていたウェイク・フォレスト大学バスケットボール部コーチのデイブ・オドムがダンカンに大きな興味を持った。当時彼はインサイドでフィジカルにプレイできるビッグマンを探しており、ダンカンはその要求に十分応えられる逸材だった。ダンカンのもとにはハートフォード大学、デラウェア大学、プロビデンス大学からの勧誘もあったが、ダンカンはウェイク・フォレスト大学デーモン・デーコンズに加わることを決めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ティム・ダンカン」の詳細全文を読む
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