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ティム・バックリィ : ウィキペディア日本語版
ティム・バックリィ

ティム・バックリィ(Tim Buckley、1947年2月14日-1975年6月29日)とは、アメリカ合衆国シンガーソングライターフォーク歌手としてデビューした後、先進的な音楽に挑戦し続けるが、オーバードースにより早世。息子は、やはりシンガーソングライターとして成功を収めたジェフ・バックリィ
Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第58位。
== 来歴 ==
ワシントンD.C.生まれ。一家は、様々な場所を転々とした末、1956年にカリフォルニア州に移る。
1965年10月に結婚。この頃はバーやナイトクラブで歌っていたが、1966年2月5日にマザーズ・オブ・インヴェンションのドラマー、ジミー・カール・ブラックと出会う〔Tim Buckley - A Chronology, 1947-1966 by Robert Niemi (www.timbuckley.net) 〕。ジミーを介して、マザーズのマネージャーのハーブ・コーエンと出会い、ハーブがティムのマネージャーとなる。8月にはエレクトラ・レコードとの契約を得る。1966年10月に離婚。この時妻が身ごもっていた子が、ジェフ・バックリィであった。
1966年12月、デビュー・アルバム『Tim Buckley』発表。同作にはヴァン・ダイク・パークス等が参加。1967年のセカンド・アルバム『Goodbye and Hello』は、ビルボード誌アルバム・チャートへのチャート・インを果たす。『Goodbye and Hello』収録曲「Morning Glory」は、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズのデビュー作『子供は人類の父である』(1968年)でカヴァーされた。1968年、TVシリーズ『ザ・モンキーズ』にゲスト出演〔"The Monkees" Mijacogeo(IMDb) 〕。1969年発表のサード・アルバム『Happy Sad』は、全米81位に達し、ティム最大のヒット作となった。
1970年、ストレイト・レコードに移籍。アルバム『Greetings from L.A.』(1972年)では、大編成のバック・バンドを従えてファンク色を強める。同作発表後、マネージャーのハーブ・コーエンが設立したレーベル、DiscReetに移る。
アルバム『Sefronia』(1973年)では、当時まだデビューしたばかりだったトム・ウェイツの楽曲「マーサ」をカヴァー(トムもハーブ・コーエンとマネージメント契約を結んでいた)。生前最後のアルバムとなった『Look at the Fool』(1974年)発表後、ハーブとの契約を解消し、以後はライヴを中心に活動。1975年3月には、当時8歳だった息子ジェフと会っている〔Tim Buckley - A Chronology, 1974-1979 by Robert Niemi (www.timbuckley.net) 〕。
1975年6月29日、サンタモニカで没。死因はヘロインオーバードース
バックリィ主演で予定されていた映画ウディ・ガスリー/わが心のふるさと (1976)は、代役にデヴィッド・キャラダインを配し制作された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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