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テッド・ディビアシー : ミニ英和和英辞書
テッド・ディビアシー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビア : [びあ]
 【名詞】 1. beer 2. (n) beer
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

テッド・ディビアシー ( リダイレクト:テッド・デビアス ) : ウィキペディア日本語版
テッド・デビアス[ちょうおん]

テッド・デビアス〔より原音に近いファミリーネームの表記は「ディビアーシ」。1993年10月23日の秋山準とのシングルマッチにおいて、リングアナの仲田龍は「テッド・デビアシ」とコールしている。〕(Ted DiBiase、本名:Theodore Marvin DiBiase Sr. 1954年1月18日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーネブラスカ州オマハ出身。
WWF(現・WWE)ではミリオンダラー・マンThe Million Dollar Man)のニックネームで活躍した。ウエスト・テキサス州立大学の出身で、ザ・ファンクスブルーザー・ブロディスタン・ハンセンの後輩にあたる。
== 来歴 ==

=== デビュー前後 ===
往年の名レスラーで鋼鉄男(アイアンマン)の異名をとった "アイアン" マイク・デビアスを父に持つが母の連れ子であるため血縁関係はない。15歳の時に心臓発作で父を亡くし、その後はアリゾナ州の祖父母のもとに預けられる。高校卒業後はテキサス州ウエスト・テキサス州立大学に進学してアメリカンフットボール部に所属しつつ(同期にティト・サンタナタリー・ブランチャード)、ザ・ファンクスのもとでトレーニングを受け、大学中退後の1974年にプロレスラーとしてデビュー。
以降、ザ・ファンクスが主宰するアマリロ地区(NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ)を皮切りに、セントラル・ステーツ地区やミッドサウス地区などで活躍。ミッドサウスのNWAトライステート(後のMSWA)では、1976年4月28日にディック・マードックと組んでボブ・スローター&バック・ロブレイからUSタッグ王座を奪取し、12月にはザ・ブルートを破り同地区認定の北米ヘビー級王座を獲得した。セントラル・ステーツ地区では、1977年5月19日にボブ・スローター、1978年1月7日にボブ・スウィータンを下し、セントラル・ステーツ・ヘビー級王座を2度獲得している。
1979年ニューヨークWWFに短期間参戦し、当時保持していた北米ヘビー級王座パット・パターソンに奪われている。これがインターコンチネンタル王座と改名され現在に至っている(北米ヘビー級王座は同年11月にパターソンを破った坂口征二が第3代の王者となり、以降は新日本プロレスが管理)。その実力で早くから注目され、1978年2月12日にディック・スレーター1980年11月21日にケン・パテラを破り、NWA世界ヘビー級王座の登竜門といわれたミズーリ・ヘビー級王座を2度獲得。一時期はリック・フレアーと並び「次期NWA王者最有力候補」とも呼ばれた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「テッド・デビアス」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ted DiBiase 」があります。




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