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テレーゼ・ツー・メクレンブルク : ミニ英和和英辞書
テレーゼ・ツー・メクレンブルク[ぶる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

テレーゼ・ツー・メクレンブルク : ウィキペディア日本語版
テレーゼ・ツー・メクレンブルク[ぶる]

テレーゼ・マティルデ・アマーリエ・ツー・メクレンブルクTherese Mathilde Amalie Herzogin zu Mecklenburg , 1773年4月5日 ハノーファー - 1839年2月12日 タクシス城、ディッシンゲン(現在のバーデン=ヴュルテンベルク州ハイデンハイム郡)郊外)は、ドイツのメクレンブルク=シュトレーリッツ公爵家の公女で、の妻。プロイセン王妃ルイーゼの次姉である。
== 生涯 ==
メクレンブルク=シュトレーリッツ公(のち大公)カール2世とその最初の妻でヘッセン=ダルムシュタット侯子ゲオルク・ヴィルヘルムの娘であるフリーデリケの間の第4子、三女として生まれた。すぐ上の姉カロリーネが夭折したため、実質的に四人姉妹の次女であった。幼くして実母と死別し、実母の妹であった継母シャルロッテも早世したため、ダルムシュタットに住む母方の祖母ルイーゼに養育された。
1789年5月25日にノイシュトレーリッツにおいて、神聖ローマ帝国の帝国郵便総裁(Generalpostmeister)を世襲で務めるトゥルン・ウント・タクシス侯カール・アンゼルムの跡取り息子カール・アレクサンダーと結婚した。夫妻は1797年まではフランクフルト・アム・マインに居を構えていたが、この頃からすでにテレーゼは夫を凌ぐ政治的手腕を見せていた。1797年に義父が実質的に帝国郵便総裁とレーゲンスブルクでの帝国議会(Reichstag)での役職を引退して夫に役職を譲ると、テレーゼも夫を支えてトゥルン・ウント・タクシス家の資産や郵便事業の経営を支えるようになった。またテレーゼは芸術や文学にも関心を寄せ、そのサロンにはジャン・パウルフリードリヒ・リュッケルトヨハン・カスパー・ラヴァーターフリードリヒ・ゴットリープ・クロプシュトックらの文人が出入りしていた。
1839年にディッシンゲンのタクシス城で亡くなり、ザンクト・エメラム修道院(Kloster Sankt Emmeram)宮殿内の墓所に葬られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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