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セルゲイ・ディアギレフ(, , 〔ロシア語読みでは セルゲイ・パヴロヴィッチ・ジャーギレフ(シェルギェーイ・パーヴラヴィチ・ジャーギリェフ)。〕, 1872年3月31日(ユリウス暦3月19日) - 1929年8月19日)は、ロシアの芸術プロデューサー。 美術雑誌『芸術世界』の発起人や、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の創設者として名高く、数多くのバレエダンサーや振付家を育成するとともに、当時の名だたる作曲家に歴史に残るバレエ音楽の傑作を依嘱した。 == 経歴 == === 生い立ちと『芸術世界』 === ウラル山脈に近いロシアのペルミにおいて、比較的裕福な地方貴族の家庭に生まれた〔ディアギレフの母親は出産の数日後に死亡した(藤野幸雄『春の祭典 ロシア・バレー団の人々』晶文社、1982年、28ページ)。〕。父の再婚に伴ってペテルブルクで幼少時代を過ごし、10歳の時にペルミに戻る〔藤野幸雄、前掲書、28ページ〕。 1890年、ペテルブルク大学に入学し法科に在籍するが、本業である法律の講義にはほとんど出席せず、芸術家を志して声楽、作曲を学ぶ一方、マリインスキー劇場などで行われる演奏会に頻繁に通った〔1893年にはピョートル・チャイコフスキー自身の指揮による交響曲第6番『悲愴』の初演にも居合わせた(藤野、前掲書、33ページ)。〕。また、従兄弟のドミトリー・フィロソーフォフ〔フィロソーフォフはディアギレフの最初の同性愛の相手でもある(芳賀直子『バレエ・リュス その魅力のすべて』国書刊行会、2009年、61ページ)。〕を通じて、後に『芸術世界』で活動をともにするアレクサンドル・ブノワやヴァレンティン・ヌーヴェリ、レオン・バクスト(当時はレフ・ローゼンベルク)らと知り合い、芸術談義に花を咲かせた〔リチャード・バックル、鈴木晶訳『ディアギレフ ロシア・バレエ団とその時代』リブロポート、1984年、上巻11ページ〕。 作曲の師であるリムスキー=コルサコフから作曲家としての才能の欠如を指摘され、自ら芸術家となることはあきらめたが〔バックル、前掲書、上巻28ページ〕、大学卒業後、義母の莫大な遺産を手に西欧各地を旅行して絵画を買い漁り、1897年以降6回にわたって自前の展覧会を開催する。1898年に行われた2回目の展覧会では皇帝一家をオープニングセレモニーに招待し、皇帝ニコライ2世の伯父ヴラジーミル・アレクサンドロヴィッチ大公との知己を得た〔バックル、前掲書、上巻33ページ〕。同年にはブノワ、バクストらと雑誌『芸術世界』(ミール・イスクーストヴァ)を刊行。1904年の廃刊まで、ビアズレー、モネをはじめとする西欧の新しい美術や、ロシアの前衛画家の作品、さらに歌川広重や葛飾北斎にいたる幅広い芸術を紹介し続けた〔藤野、前掲書、34-38ページ〕〔バックル、前掲書、76ページ〕。 これらの活動のロシアにおける総決算として、1905年にサンクトペテルブルクのタヴリーダ宮殿を会場として「ロシア歴史肖像画展」を開催する。帝室のコレクションや全国各地から集めた約3000点が展示され、バクストが室内装飾を担当した〔バックル、前掲書、上巻94-95ページ〕。当時のロシアは日露戦争の敗色が濃厚となり、1月には「血の日曜日事件」が起こるなど、きわめて不安定な情勢にあったが、ニコライ2世をはじめとして、多くの人々がつめかける盛況ぶりであった〔芳賀直子、前掲書、70-71ページ〕。 これより先、ディアギレフは『芸術世界』への寄稿者で、帝室マリインスキー劇場の支配人ヴォルコフスキー公爵の推薦により1899年に劇場の特別任務要員に任命されていたが〔バックル、前掲書、上巻52ページ〕、組織内の軋轢が原因で1901年に罪人同様の扱いで追放処分となった〔バックル、前掲書、上巻66-68ページ〕。しかし、1905年のロシア第一革命による国会(ドゥーマ)開設〔国会(ドゥーマ)は、「歴史肖像画展」の会場であったタヴリーダ宮におかれた。〕など、政治をめぐる状況が変化する中で、ディアギレフは西欧にロシア文化を大々的に紹介することで自らの実力を国内に示そうと考えた〔バックル、前掲書、上巻101ページ〕。 1906年にパリのプチ・パレにて、ヴラジーミル大公を組織委員長とするロシア人画家の大々的な展覧会を開催し〔鈴木晶『踊る世紀』新書館、1994年、24ページ〕、この成功により、フランス文化界や社交界と交流するきっかけをつかんだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セルゲイ・ディアギレフ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sergei Diaghilev 」があります。 スポンサード リンク
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