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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ディック・ノーマン(Dick Norman, 1971年3月1日 - )は、ベルギー・ワレヘム出身の男子プロテニス選手。2009年の全仏オープン男子ダブルスで、ウェスリー・ムーディ(南アフリカ)とペアを組んで準優勝した選手である。ATPツアーでダブルス4勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス85位、ダブルス10位。左利き。身長203cmの長身からついた“Big D”(ビッグD)というニックネームがある。 == 来歴 == 6歳からテニスを始め、1991年にプロ入り。ノーマンが最初に脚光を浴びたのは、1995年のウィンブルドン4回戦進出だった。ノーマンは当時世界ランキング176位で、ウィンブルドン男子シングルスの予選3回戦でサンドン・ストール(オーストラリア)に敗れたが、大会開始直前に欠場者が出たことにより「ラッキー・ルーザー」(Lucky loser)として本戦出場権を得た。本戦1回戦でパット・キャッシュ(オーストラリア)が途中棄権した後、2回戦でノーマンは第13シードのステファン・エドベリを 6-3, 6-4, 6-4 で破った。そこから4回戦まで勝ち進み、第3シードのボリス・ベッカーに 6-7, 3-6, 4-6 のストレートで敗れた。ウィンブルドン後、1995年9月22日-24日に男子団体戦デビスカップの「ワールドグループ・プレーオフ」が行われ、ノーマンは対ノルウェー戦でベルギー代表に初起用された。10月にセイコー・スーパー・テニスで来日し、翌週の中国・北京大会でダブルス決勝進出もあった。2年後の1997年全仏オープンでセルジ・ブルゲラとの3回戦まで進出した。ノーマンは1998年に一度引退し2年間テニスから離れたが2000年に復帰した。 2007年1月のチェンナイ・オープン男子ダブルスで、ディック・ノーマンは同じベルギーのグザビエ・マリスとペアを組み、プロ入り16年目でツアー初優勝を果たした。ノーマンとマリッセは、決勝でスペインペアのラファエル・ナダル&バートロミ・サルバ・ビダル組を 7-6, 7-6 で破って優勝を決めた。2年後の2009年2月、ノーマンは南アフリカ・ヨハネスブルグ大会のダブルスでジェームズ・セレターニ(アメリカ)とペアを組み、2年ぶりのツアー2勝目を挙げた。 ディック・ノーマンは2009年の全仏オープン男子ダブルスで、ウェスリー・ムーディとコンビを組み、準決勝で第2シードのボブ・ブライアン&マイク・ブライアン組(アメリカ、双子の兄弟のペア)を 0-6, 7-6, 6-4 の逆転で破り、ノーシードから初の決勝戦に進出した。決勝では第3シードのルーカス・ドロウヒー(チェコ)&リーンダー・パエス(インド)組に 6-3, 3-6, 2-6 の逆転で敗れ、ノーマンとムーディは準優勝に終わった。ベルギーの男子テニス選手が4大大会決勝戦に進んだのは、5年前の2004年全仏オープンで男子ダブルス優勝者になったオリビエ・ロクス&グザビエ・マリス以来の快挙であったが、ノーマンはロクスとマリスの後に続くことができなかった。 全仏ダブルス準優勝の後、ノーマンとムーディはオランダ・スヘルトーヘンボス開催の「オーディナ・オープン」で優勝した。それからウィンブルドンでも男子ダブルス準決勝まで勝ち進み、ブライアン兄弟組に 6-7, 6-7, 4-6 で敗れた。 2010年のインディアンウェルズ大会の予選を最後にノーマンはシングルスから撤退しダブルスに専念した。2010年4月26日付のランキングで自己最高のダブルス10位を記録している。2013年6月のトップシェルフ・オープンでベルギーの後輩のダビド・ゴフィンと組んで出場したのを最後に42歳で現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ディック・ノーマン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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