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ディートリッヒ・フォン・ヒルデブラント : ミニ英和和英辞書
ディートリッヒ・フォン・ヒルデブラント[らん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

ディートリッヒ・フォン・ヒルデブラント : ウィキペディア日本語版
ディートリッヒ・フォン・ヒルデブラント[らん]
ディートリッヒ・フォン・ヒルデブラントDietrich von Hildebrand1889年10月12日 - 1977年1月26日)はドイツカトリック哲学者ローマ教皇ピウス12世をして「20世紀最大の教会博士」と言わしめたことでも有名。また、同じく教皇のヨハネ・パウロ2世ベネディクト16世もヒルデブラントを高く評価しており、いずれも様々な逸話がある。
==来歴==
彫刻アドルフ・フォン・ヒルデブラントの子として、フィレンツェの厳格なプロテスタント家庭に生まれるが、本人は1914年にカトリックへ改宗アドルフ・ヒトラーおよびナチズムを激しく嫌悪していたことから、1933年のヒトラー内閣成立と同時にドイツからオーストリアウイーンに移住する。ウイーンでは時のオーストリア首相エンゲルベルト・ドルフース支援の下反ナチ紙を編集・発行するが、ナチスにより死刑を宣告される。
ヒトラーがオーストリアを併合した1938年には、再度移住を余儀なくされる。スイスフリウーリ郊外で約1年過ごした後、トゥールーズカトリック大学で教鞭を執っていた関係上、フランスタルヌ県フィアックに身を寄せることとなる。だが1940年にヒトラーがフランスへ侵攻すると、妻子らと共にポルトガルブラジルを経てニューヨークへと亡命。ニューヨークではイエズス会系のフォーダム大学で哲学を教える。
1960年に大学を退職すると、余生を自叙伝の執筆に費やし、両言語で書かれた著書は数十冊にのぼる。1977年1月26日、心臓病のためニューヨーク州ニューロシェルにて死去。
なお、著書の翻訳出版は現在、ディートリッヒ・フォン・ヒルデブラント財団プロジェクト に委託されているほか、ディートリッヒ・フォン・ヒルデブラント研究所 には回想録が保存されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ディートリッヒ・フォン・ヒルデブラント」の詳細全文を読む




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