|
デイヴィッド・ウォルター・フォスター(David Walter Foster、1949年11月1日 - )は、カナダの音楽家、音楽プロデューサー、ソングライター、編曲家である。セリーヌ・ディオン、ジョシュ・グローバン、シャリース・ペンペンコ、マイケル・ブーブレなどを見出したり、世界で成功したアーティストのプロデュースを数多く手がけている。今までに15のグラミー賞を獲得した他、「カナダのグラミー」と呼ばれるジュノー賞を7回、映像関連のエミー賞を1回受賞している。また、映画のサウンドトラックも数多く手掛け、3度アカデミー賞にノミネートされている。 == 来歴 == 1960年代半ばザ・ストレンジャーズのキーボーディストとして渡英、チャック・ベリー、ボ・ディドリーなどのミュージシャンのイギリス公演のバック・バンドを務める、キャット・スティーヴンスのツアーバンドに誘われるも、ホームシックにかかって帰国。その後、ロニー・ホーキンスのバンド・メンバーなどを経て、1971年にバンド、スカイラークを結成し、渡米。1973年に「Wildflower」をヒットさせる。解散後もロサンジェルスに留まり、本格的に音楽活動を開始。セッション・プレイヤーとしての活動をした後(1975年にリー・リトナーらと共にミッシェル・ポルナレフのバック・バンドのキーボード奏者としてテレビ出演している映像が残っている)、プロデューサーに転身。 マイケル・ボルトン、バーブラ・ストライサンド、セリーヌ・ディオン、ホイットニー・ヒューストン、マイケル・ジャクソン、シカゴ、マドンナ、チャカ・カーン、アンドレア・ボチェッリなどの著名なアーティストのアルバムのプロデュースなどを行っている。英語圏以外のアーティストにも積極的に参加し、メキシコのルイス・ミゲルや河合奈保子、松田聖子のアルバムにも曲を提供しプロデュースもしている。ワーナー・ミュージックの重役でもあり、近年、自らのレーベル、143 レコードを立ち上げ、ザ・コアーズ(The Corrs)、ジョシュ・グローバン、マイケル・ブーブレなどのアルバムを制作した。 1979年にはジェイ・グレイドン、ビル・チャンプリンと共作したアース・ウィンド・アンド・ファイアーの『アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン』(''"After The Love Has Gone"'')を作曲、この曲はシングルでは全米2位を獲得し、初めてグラミー賞(最優秀R&B楽曲賞)を受賞。この曲は後にジェイ・グレイドンと組んだエアプレイでカバーされているが、タイトルは''"After The Love Is Gone"''と変わっており、少し歌詞を変更している。 自らの作品としては、グラミー賞を15回受賞しており(うち3回は「最優秀プロデューサー賞」)、BMIの「最優秀ソングライター」賞も受賞している。アカデミー賞では最優秀楽曲賞に3回ノミネート、アニメ映画『魔法の剣 キャメロット』ではゴールデングローブ賞 主題歌賞を受賞。 1992年に映画「ボディガード」の挿入歌''"I Have Nothing"''(歌:ホイットニー・ヒューストン)の作曲でグラミー賞及びアカデミー賞最優秀楽曲賞にノミネートされた。また、1988年 カルガリーオリンピックの公式テーマ曲''"Winter Games"''を作曲、1996年 アトランタオリンピックの公式テーマ曲''"The Power of the Dream"''を"ベイビーフェイス"(ケネス・エドモンズ)と作曲、更に2002年 ソルトレイクシティオリンピックの公式テーマ曲''"Light the Fire within"''も作曲、とオリンピックのテーマ曲は実に3度も携わっている。また、カルガリー、バンクーバーと、カナダで開催された冬期オリンピックでは音楽監督を務めた。その他の映画サントラのプロデュースとしては、『ゴーストバスターズ』『フットルース』『セント・エルモス・ファイヤー』などが挙げられる。 2010年、ソングライターの殿堂、"Songwiter's Hall of Fame"入りを果たした。輝かしい実績に比べるとかなり遅い殿堂入りであるが、「もし自分が選考委員として僕の経歴を見たら、こいつは上手いのかもしれないけど、かなり助っ人がいるんじゃないのかな?と言う気がする。僕単独でやってることをとらえるのは結構難しいだろう。でも殿堂入りは光栄だし、ワクワクしてるよ」と謙虚に語っている〔キーボード・マガジン2010年 夏号より。〕。 2015年からAsia's Got Talentに審査員として番組へ参加。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デイヴィッド・フォスター」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|