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デービッド・アンドリュー・ハンセン(David Andrew Hansen, 1968年11月24日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロングビーチ出身の元プロ野球選手(内野手)。 現在はMLB・ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムで打撃コーチ補佐を務めている。 == 経歴 == 1986年のMLBドラフト2巡目で地元ロサンゼルス・ドジャースに指名され契約。マイナー時代、野球留学で渡米していた山本昌とチームメイトだった時期もある。 9月16日の対シンシナティ・レッズ戦で、7回表にリック・デンプシーの代打として出場しメジャーデビューを果たす。結果はロブ・ディブルの前に見送り三振だった。 からは、アベレージヒッターとして代打・準レギュラーで活躍。 には、チーム記録となる代打安打18本を記録している。 に移籍したシカゴ・カブスを経て、トミー・ラソーダの推薦でにNPBの阪神タイガースに入団。実際はその前年にハンセンサイドから阪神に売り込みがあり、打撃のビデオを見た監督の吉田義男は「いりまへん」とこれを一蹴。翌年、またも売り込みがあり吉田はビデオを見て「だいぶよくなりましたな」と評価し、これがハンセン獲得のきっかけとなった。しかし、そのビデオは両方とも全く同じ映像(しかもカブスに移籍していたのにユニホームの違いにも気付かなかった)であったといわれている。 3割、90打点はいけるという触れ込みで、クリーンアップの一角として121試合に出場したものの、打率.253に終わった。またお世辞にも巧いとは言い難い三塁守備で、17失策を記録している。9月23日の対ヤクルト戦では1試合3失策という不名誉な記録も残してしまうなど、悪印象が目立ってしまう結果となり1年で退団。中軸打者としての迫力にはやや欠けたが、脚力はまずまずであった。 に古巣ドジャースでメジャー復帰。主に代打として活躍した。 は、代打で7本塁打を放ち、代打本塁打のシーズン記録を68年ぶりに更新した(翌に当時ピッツバーグ・パイレーツのクレイグ・ウィルソンも同じく7本塁打を記録してタイ)。その後はサンディエゴ・パドレス、シアトル・マリナーズでもプレーし、に現役引退。 からまでドジャースの打撃コーチを務めた。 にはマリナーズの打撃コーチを務めた。オフの12月4日にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムの打撃コーチ補佐に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デーブ・ハンセン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Dave Hansen (baseball) 」があります。 スポンサード リンク
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