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デビッド・シュルツ : ウィキペディア日本語版
デビッド・シュルツ

デビッド・シュルツ"Dr. D" David Schultz1950年6月1日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーテネシー州マディソン郡出身。
現役選手時代はヒールラフファイターとして活躍し、私生活でも喧嘩っ早いことで知られた〔『ピュア・ダイナマイト - ダイナマイト・キッド自伝』P69(2001年、エンターブレイン、ISBN 4757706391)〕。引退後は犯罪者を捕えて報酬を得るプロのバウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)となって活動。
== 来歴 ==
ハイスクール時代はアメリカンフットボールの選手だったが、膝を負傷してプロ入りを断念〔。ベトナム戦争に従軍後、1974年に地元テネシー州NWAミッドアメリカ地区でプロレスラーとしてデビュー。以降テネシーを主戦場に、アラバマのガルフ・コースト地区やカナダ大西洋岸マリタイム地区イースタン・スポーツ・アソシエーション)にも転戦してキャリアを積む。喧嘩ファイトを身上とするヒールとして頭角を現し、荒っぽい試合スタイルが多いことから当時「無法地帯」と呼ばれていたテネシーでも名うてのラフファイターとなった〔DVD-BOX『国際プロレス クロニクル 下巻』特典付録CD-ROM 国際プロレス全パンフレット「1978年 ダイナマイト・シリーズ」(2011年、クエスト)〕。
1978年9月、国際プロレスに初来日(表記は「ダビッド・ショルツ」)。シリーズのエース格だったオックス・ベーカーリップ・タイラーの相棒となって、ラッシャー木村アニマル浜口と対戦した。翌1979年8月18日にはテネシー州チャタヌーガにてジプシー・ジョーを破り、ラフファイターの称号であるNWA世界ブラスナックル王座を獲得。11月22日にはノックスビルにてデニス・コンドリーをパートナーに、ディック・スレーター&ポール・オーンドーフからNWAサウスイースタン・タッグ王座を奪取している。テネシーではその後もメンフィスCWAでコンドリーとコンビを組み、ジェリー・ローラービル・ダンディージミー・バリアントリッキー・モートンココ・ウェアロッキー・ジョンソンビル・ロビンソンリッキーロバートのギブソン・ブラザーズなどと抗争した。
1981年から1982年にかけてはカナダ・アルバータ州カルガリースタンピード・レスリングに参戦。ブレット・ハートレオ・バークミスター・ヒトを破り、同地区のフラッグシップ・タイトルだった北米ヘビー級王座を通算3回獲得した。1982年7月18日にはエドモントンにて、カルガリー地区に遠征してきたニック・ボックウィンクルAWA世界ヘビー級王座に挑戦。これを機に翌1983年AWAと契約し、メジャー・テリトリーへの本格的な進出を果たした。
AWAではバロン・フォン・ラシクブラッド・レイガンズジム・ブランゼルスティーブ・オルソノスキーらを下し、ミスター・サイトーのパートナーとなってハルク・ホーガンと抗争を展開。その活躍ぶりをビンス・マクマホンに認められ、ホーガンと同時期にWWFに移籍する。ホーガンとの抗争はWWFでも継続させ、1984年よりスタートしたWWFの全米進出サーキットではAWA圏侵攻の目玉カードとしてホーガン対シュルツのWWF世界ヘビー級王座戦が組まれた。WWFではホーガンをはじめ、アンドレ・ザ・ジャイアントボブ・バックランドサージェント・スロータージミー・スヌーカなどベビーフェイス陣営のトップと各地で対戦。同年7月にはWWFとの提携ルートで新日本プロレスに初参加している。
しかし1984年12月28日、ニューヨークMSGでの試合前にABCアナウンサーのジョン・ストッセルの取材を受け、プロレスの内部事情に関する質問に激高。殴打事件を起こしたために謹慎処分を受け、後に解雇される。なお当日、シュルツは日本から遠征してきたアントニオ猪木と対戦し、この試合は日本でも放送された。当時のWWFにおいてシュルツはロディ・パイパー&ポール・オーンドーフとヒール・ユニットを結成しており、パイパーの用心棒として活躍していたが、その役どころをカウボーイ・ボブ・オートンに譲ることとなった。
WWF解雇後は各地を転戦し、古巣メンフィスのCWAではWWF入り前のランディ・サベージともタッグを組み、1985年5月6日にはミッドサウス・コロシアムにてジェリー・ローラー&ブルーザー・ブロディのチームと対戦。ジノ・ブリットディノ・ブラボーらが主宰していたカナダのモントリオール地区では、1986年11月にグレート・サムゥことサムラ・アノアイを破ってインターナショナル・ヘビー級王座を獲得した。
1987年に引退してからはバウンティ・ハンターに転身。世界を股にかけて犯罪者を追跡し、FBIDEAをはじめ各地の警察機関の捜査に協力している〔。引退後は1990年代にWWFのステロイド裁判に原告側の証人として出廷〔した以外はプロレスリング業界との関わりを絶っていたが、近年はファンが主催するイベントなどに登場している〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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