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デモティキ : ウィキペディア日本語版
デモティキ

デモティキ()とは、現代ギリシア語公用語である「口語の標準語」をいう。現代ギリシア語民衆口語のうち、「アテネ方言」を指称する。これは現代イタリア語の「トスカナ方言」に相当する標準語となった一方言である。
== 成立 ==
デモティキは、比較的近代に成立した言語である。「デモティキ」の文献上の初出は、ソフィアノス(1500年 - 1552年)の口語ギリシア語の文法書が最初であり、ソフィアノスはデモティキの創設者といえる。これに反し、ヴルガリス(1716年 - 1806年)は、擬古典ギリシア語を堅持し「デモティキ」を排除した。カタルジス(1720年 - 1807年)は、「デモティキ」と呼ばれる「口語民衆語」を支持した最初の学者である。しかしながら、アダマンティス・コライス(1748年 - 1833年)は、口語ギリシア語に基づき純正化(「カサレヴサ」化)した新しいギリシア語を作る主張を最初に訴えて反駁した。1821年に始まったギリシャ独立戦争の過程で1830年にギリシア共和国が成立した。その後1833年にヴィッテルスバッハ家のオットーをオソン1世として国王に迎え、ギリシャ王国が建国された。このとき口語にもとづいた民衆語ディモティキをギリシア語とすべき旨のソロモス(1798年 - 1757年)の主張があったものの、オソンとともに故国に帰国した官僚は、コイネーに基づく古典的文語「カサレヴサ」(純粋文語と訳される)を標準語とすべき旨主張した。その後永くフランスパリで活躍していたプシハリス(1824年 - 1929年)は、現代ギリシア語は「ディモティキ」によるべき旨の主張を国際的な学者・作家として初めて言語学的依拠とその著作で立証した。カサレヴサは擬古典的な「コイネー」に基づくギリシア語であり、擬古典的な官僚的文語的純正文語であって、当時は広く行政文書に使われていた。これに対し、ブシハリスは、「デモティキ」が通時言語学的に公用語として適切であり、「カサレヴサ」は通時言語学に反した人工的な擬古復古体で公用語でも文学語においても失当であると主張した。また自著「わが旅」などの文学作品の著作による実践をも行った。
しかし、その「デモティキ(民衆口語)」は、ギリシアのさまざまな方言のうち「アテネ方言」のみを指称する一方言の口語であった。当時のさまざまな各諸方言をまとめるには、かつてのコイネーを基盤とする純粋文語(「カサレヴサ」)の方が、ギリシア全体の共通語として(方言をまとめるために)より「一般化」しやすい言語であった。西海沖の地域を除く東海域の各島嶼・北ギリシア本土・小アジアの当時のギリシア人は当該地域の方言とカサレヴサのみを理解し、アテネ方言は異国の言語だったのである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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