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至聖三者聖セルギイ大修道院(しせいさんしゃせいセルギイだいしゅうどういん、)はロシアにある正教会の修道院。モスクワから北方90キロメートルに位置するセルギエフ・ポサードの町にあるこの修道院は、ロシア正教会において最も重要な修道院のひとつであり、その精神的な支柱ともいうべき位置にある。トローイツェ・セルギエヴァ・ラーヴラとも転写される。 至聖三者()とは正教会用語で、他キリスト教教派でいう三位一体に当たる。大修道院と訳されるラヴラ(、ラーヴラ)とは、修道院の格式の高さを示す修道院の称号。 その諸建築はロシア教会建築の優品として知られる。世界遺産として登録されており、登録名は、「セルギエフ・ポサードの至聖三者セルギイ大修道院の建築的遺産群」。 == 概要 == 1345年、ラドネジの克肖者聖セルギイにより至聖三者(三位一体)を記憶した聖堂が建てられ、これが修道院の起源となる。建立直後からラドネジの聖セルギイの指導下で修道院は大きく発展したが、その後も長い歴史の中で修道院は発展・拡大を続けた。 15世紀に描かれた、アンドレイ・ルブリョフによる著名なイコン『至聖三者』は、当初はこの修道院内の至聖三者大聖堂(トロイツキー大聖堂)に納められていた(現在、原作はトレチャコフ美術館所蔵)。16世紀に修道院内最大の大聖堂である生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)建立。17世紀には前駆授洗イオアン誕生教会や聖セルギイの食堂が建設された。18世紀にはラヴラの格が与えられたほか、高さ88メートルをほこる白と青のバロック式鐘楼が建てられ、院内には神学校が設置された。19世紀には神学校は神学大学に改組された。 発展を続けた大修道院であったが、20世紀にロシア革命が起こりボリシェヴィキ政権(ソ連政府)が神品 (正教会の聖職)・修道士・修道女の虐殺を含む宗教弾圧政策をとる中、大修道院も壊滅的打撃を受けた。修道院は1920年から1945年までの間、閉鎖され、多くの文化財が散逸した。ソ連時代後半には若干態度を軟化させたソ連政府の下で、修道生活が細々と行われるようになった。 ソ連崩壊後、大修道院は本格的に復興。1993年には建造物群が世界遺産に登録されている。 創設者であるラドネジの聖セルギイのほか、聖マクシム・グレク、アラスカの聖インノケンティなど著名な聖人の不朽体が多く安置され、マカリイ1世 (モスクワ府主教)、アレクシイ1世 (モスクワ総主教)といった著名な人物の多くの墓がある。 至聖三者セルギイ大修道院の修道院長は、モスクワおよび全ロシアの総主教が務める。実務はセルギエフ・パサード駐在の院長代理が務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「至聖三者聖セルギイ大修道院」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Trinity Lavra of St. Sergius 」があります。 スポンサード リンク
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