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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
トン・ニーノ(トンニーノ、本名:山崎 徹(やまさき とおる)、1979年3月2日 - )は、日本の男性歌手、作詞家、作曲家。T-Pistonz+KMCのボーカル。作詞・作曲時の名義は山崎徹。身長170cm、足のサイズ26.5cm。福岡県福岡市出身。 == 来歴 == 2人兄弟の長兄である。弟はT-Pistonz+KMCのヒロシ・ドット。 4才からヤマハ音楽教室でオルガンを習う。 小学1年〜6年の1学期まで福岡市立草ヶ江小学校。小学6年の2学期より福岡市立長尾小学校。 中学はレコード会社の先輩であるKANと同じ福岡市立友泉中学校に通う。 小学生時代は本格的なソフトボールのチームに入っていた一方、自然にアコースティックギターを弾くようになり、バンド名を作り家中に自作の歌詞をばら撒いたりするような子供時代を送る。 中学生時代『ザ・トランクス』というバンドを組む。 九州産業大学時代に下宿していた寮で出会った友人とパンクフォークユニット『ハヤトオル』を結成。 しだいに本格的なパンクバンド結成を意識し始め、めんたいビートパンクバンド『THE UP↑DOWN QUIZ』を結成。 このバンドで上京しようと思い立つが、仲間が留年したり就職活動を始めたりしたため解散し断念する。 その後、高校時代の友人と『グッチドン』と言う博多弁漫才コンビを結成し、ボケを担当。お笑い芸人を目指して上京し、大森駅周辺でストリート漫才を行っていた。 しかし東京では博多弁が通じず、ネタで笑わせていたのではなく博多弁を笑われていたことに気付く。相方からの「標準語で漫才をやろう」という提案にショックを受け、自身もボケる前に必ず赤面してしまうという漫才師にとって致命的な状況となる。 ある日、赤面していると聴衆から「頑張って!」とボケることを応援され、その一言で解散を決意する。 東京での漫才時代、当初は漫才に集中するためギターを実家に置き音楽を封印していたが次第に曲作りを始め、福岡に帰省する度、音源をヒロシ・ドットに託しハモリやベースを入れてもらっていた。 ヒロシ・ドットの才能に気付き「トオルとヒロシ。」というユニット名でヒロシ・ドットの許可無くレコード会社に音源を送り2社からの返答を得た。 兄弟でオーディションを受けるが「2人がバンドでやってるライブが観てみたい」と言われ落とされた。 またヒロシ・ドットが福岡へ帰った時に『Sexyとおる子チャン』名義でソロで受けたオーディションで氏神一番と出会い、「お前、友達の中でも絶対浮いてるだろう?でもそれでいいんだぞ! 他と違うことをやろうとしてる奴は、他と違う奴でいいんだ! 他の平凡な奴からなんか言われたって、笑われたって、お前はずっとお前の好きにお前のままでいろ! お前はそれが一番似合ってる!」と言われる。この言葉がのちの自分の核を作ってくれたことは間違いないと本人は語っている〔http://blog.livedoor.jp/tonkotsu69/archives/50411634.html〕。 2004年5月17日、京浜東北線の車内で突然失神して、頭を強く打ち気絶。東京駅から救急車で運ばれ、額を6針縫う大ケガをした。それ以前にも駅のホームや銭湯で失神しており、福岡大学病院に2週間の検査入院をし、「神経調節性失神」であると診断された。同時に約3年間生活していた東京から博多に戻ることとなった。 この事実を本人がブログで告白したのは「あの時、病気になって博多に帰ってなければ、その後の自分がいなかった。この病気に感謝してるからだ。」という主旨の事を述べている〔http://blog.livedoor.jp/tonkotsu69/archives/50192781.html〕。 奇跡的に命を取り留めた褒美として叶えてもらった願いが、当時ヒロシ・ドットが組んでいたバンド『THE SEXY PISTONS』への加入だった。入院中の病室からビデオレターによる加入願いを出したりもしていた。実はヒロシ・ドットがベースを弾きながらボーカルとして歌うことは無理と訴えていたため、利害関係が一致してボーカルとして加入。地元福岡で活動開始する。 2005年、ライブやインディーズ盤のリリースを精力的に行う中、福岡の居酒屋で「東京でライブをやらないか」と誘われたのを、東京でデビューできるものと勘違いし、単身で再度上京。後から仕事を辞め上京した他メンバーに事実を告げられない状況が1年程続いた。 2006年10月2日6時9分(豚骨ロックの日)にバンド名を『豚骨ピストンズ』に改名。2007年3月21日にシングル『よかろうもん』でメジャーデビュー。 2008年、同郷のレベルファイブ社長・日野晃博に『よかろうもん』を気に入られ、ニンテンドーDSゲーム・イナズマイレブンのオープニングテーマを担当するため『豚骨ピストンズ』を母体とした8人組パフォーマンスユニット『T-Pistonz』を結成。その後、自身が出演していたNHK福岡放送局制作の『トンコツTV』のゲストであったラッパー・KMCを誘い、2009年よりユニット名は『T-Pistonz+KMC』となる。 以降リードボーカルとして、またテレビやラジオの司会としても活躍中である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トン・ニーノ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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