|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
トマス・フラナガン(Thomas Flanagan, 1923年11月5日 - 2002年3月21日)は、アメリカ合衆国の英語文学研究者、なかでもアイルランド文学の専門家で、小説家。1923年、コネチカット州グリニッジに生まれ、1945年、アマースト大学を卒業した。コロンビア大学で1949年に文学修士号を、1958年に博士号を取得した。そして、カリフォルニア大学バークレー校の終身在職教員として、引退するまで勤めた。2002年、カリフォルニア州バークレーで亡くなった。 フラナガンは、小説家としても、1979年に全米批評家協会賞を受賞するなど成功をおさめた。主に、歴史小説や推理小説を書いている。以下のものが、刊行されている。 * ''The Year of the French'' (1979年) * ''The Tenants of Time'' (1988年) * ''The End of the Hunt'' (1995年) フラナガンは、日本では推理小説作家として知られている。それは、日本で独自に編まれ発行されたフラナガンの推理小説短編集、『アデスタを吹く冷たい風』の巻末、解説〔「(s)」という署名がある。〕で、「トマス・フラナガンは、1923年に生れた。彼についてわかっているのは、これだけである」とあることからも分かる。フラナガンは、1949年にデビュー作の「玉を懐いて罪あり」で『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』(EQMM) の第4回年次コンテスト最高処女作特賞(最優秀新人賞)を、1952年に、テナント少佐シリーズの第1作「アデスタを吹く冷たい風」で同じくEQMM の第7回年次コンテスト第一席を得ている。1949年から1958年まで、10年で7編の推理小説の短篇を全てEQMM にて発表した。 テナント少佐は、フラナガンの唯一の連作推理小説の主人公の探偵役で、地中海沿岸の軍事独裁政権下にある「共和国」の、職業軍人の憲兵隊長である。そして、共和国内の様々な事件(殺人事件に限らない)を解決していく。日本では、このテナント少佐の登場する四篇と「玉を懐いて罪あり」(「北イタリア物語」とも)はフラナガンの代表作とみなされている。以下が7編のリストであるが、発表順で、日本語題、原題の順に示す。このうちテナント少佐ものには★を付している。テナント少佐もの以外は、それぞれつながりのない読切である。 * 玉を懐いて罪あり〔これは『アデスタを吹く冷たい風』の中での題名であり、別のアンソロジー、H・S・サンテッスン編『密室殺人傑作選』〈ハヤカワ・ミステリ〉1161、早川書房、2000年 ISBN 978-4150011611、〈ハヤカワ・ミステリ文庫〉277-1、早川書房、2003年 ISBN 978-4151740015 では、「北イタリア物語」の日本語題がついている。〕 ''The Fine Italian Hand''(1949年) * アデスタを吹く冷たい風 ''The Cold Wind of Adesta''(1952年)★ * 良心の問題 ''The Point of Honor''(1952年)★ * 獅子のたてがみ ''The Lion's Mane''(1953年)★ * うまくいつたようだわね ''This Will Do Nicely''(1955年) * 国のしきたり ''The Customs of The Country''(1956年)★ * もし君が陪審員なら ''Suppose You Were on the Jury''(1958年) 以上は、宇野利泰訳『アデスタを吹く冷たい風』〈ハヤカワ・ミステリ〉646、早川書房、1961年 ISBN 4-15-000646-6〔この本について推理小説家の有栖川有栖は、「フラナガンのたった一冊の著書(全集と呼んでもいいか)」と説いている。有栖川 (2003)p.122〕に全て収録されている。この短編集は、日本語訳で読めるフラナガンの唯一の著作集であり、「ハヤカワ・ミステリ」のキャンペーンでの「復刊希望アンケート」で、1998年、2003年と、連続で一番多く票を集めたことでも知られる。 == 脚註 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トマス・フラナガン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Thomas Flanagan (writer) 」があります。 スポンサード リンク
|