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ドナ・サマー(Donna Summer、1948年12月31日 - 2012年5月17日)は、アメリカ合衆国のディスコ歌手、ディスコ・クイーン。マサチューセッツ州ボストン近郊のドーチェスター出身。グラミー賞を5回受賞した〔。 「ディスコの女王(Queen of Disco)」の異名を持つ。 == 経歴 == 1968年にミュージカル「ヘアー」のヨーロッパ公演でデビュー、1971年にファーストシングル、1974年にファーストアルバムを発表した。 1970年代にジョルジオ・モロダーのプロデュースにより、ディスコ・ミュージックの第一人者として活躍し「ディスコの女王」(''Queen of Disco'')と呼ばれ、一世を風靡した。 1980年にデヴィッド・ゲフィン率いるゲフィン・レコードへ古巣のカサブランカ・レコードから移籍。その後、彼女が「AIDSはゲイに対する天罰である」と発言したとされ、ファンの多くがゲイであったために反感を買った。1991年、彼女はこうした報道に対して否定コメントを記者会見上で涙ながらに発表している。 1990年代から2000年代にかけては目立ったヒット曲はないが、元祖ディスコクイーンたる由縁か、ビルボードのダンスまたはクラブ・チャートにおいてトップ10入りする常連であった。 2008年5月に9年ぶり(オリジナルアルバムとしては17年ぶり)となる『Crayons』を発表、ここからのシングル3曲「I'm a Fire」「Stamp Your Feet」「Fame (The Game)」そして「To Paris With Love」が2008年から2010年にかけて4曲連続でビルボードのダンス・チャートで1位を記録。「To Paris With Love」は、彼女にとってビルボードの各シングル・チャートにおける通算22曲目の1位となった。 主なヒット曲は、「ホット・スタッフ」「愛の誘惑」「恋はマジック」「マッカーサー・パーク」「バッド・ガール」「情熱物語」「イッツ・フォー・リアル」「アイ・ウィル・ゴー・ウィズ・ユー」「ラスト・ダンス」 など。 2012年5月17日朝、フロリダ州ネイプルズで死去。 2013年に、ロックの殿堂入りを果たした。授賞式ではケリー・ローランドがプレゼンターを務め、彼女の家族が受賞し、ジェニファー・ハドソンが「バッド・ガール」「ラスト・ダンス」のカバーを披露した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドナ・サマー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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