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ドミニカ共和国空軍(西:Fuerza Aérea Dominicana)はドミニカ共和国の空軍。 == 歴史 == 1932年、陸軍内に航空隊が設立され1942年までに約12機の航空機を購入した。陸軍航空隊は1942年10月26日に陸軍航空中隊に改称される。第二次世界大戦中、アメリカ合衆国に国内の基地施設の使用を認めることと引き換えに、限られた量ではあったが武器貸与を受けた。 1947年にキューバからやってきた亡命者達がドミニカを急襲しようとした。これに対し政府はアメリカ合衆国から戦闘機と爆撃機の調達することを望んだが、売買はカナダ政府に阻止され、ラファエル・トルヒーヨ政権の下には届かなかった。この事態に大統領代理人はイギリスから若干数のブリストル ボーファイターとデ・ハビランド モスキートを購入して解決した。同年春、米州相互援助条約が調印されアメリカ合衆国からP-47Dを25機、T-6を30機受領した。この大量供給により陸軍航空部隊は急速に拡大し、1948年2月15日に布告第4918号を以って独立軍種となりドミニカ軍航空軍団(Cuerpo de Aviacion Militar Dominicana)に改称される。航空軍団本部は首都郊外のサンイシドロに設けられた。空軍は1950年代に名称変更を繰り返している。1952年から1955年までドミニカ軍航空隊、1955年から1957年までドミニカ空軍、1957年から1962年までは再びドミニカ軍航空隊に戻され、1962年に現在の名称に落ち着いた。 1952年、デ・ハビランド バンパイア25機とP-51D32機をスウェーデンから購入しようとするも、カナダと日本から引き合いがあった為、アメリカ合衆国により輸入は阻止された。1956年には空軍は240機の航空機を保有していた。戦後に導入された器材の多くは翌年までの間に命数を迎えようとしていた。1961年のトルヒーヨ大統領の暗殺後、空軍の予算は減少する。この結果1963年の保有機数は110機まで減少した。 その後15年間(1965年には内戦が起きている)も機体数の減少は続き、新規購入された機体は練習機とヘリコプターの2機のみであった。1980年代初頭にはサンイシドロ空軍基地に5個飛行隊約80機の航空機を集中して運用していた。 現在のところ戦闘機を保有せず、2008年にブラジルからエンブラエル EMB-314を8機購入し対地攻撃能力が強化される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドミニカ共和国空軍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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