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ドミートロフ : ミニ英和和英辞書
ドミートロフ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ドミートロフ ( リダイレクト:ドミトロフ ) : ウィキペディア日本語版
ドミトロフ[ちょうおん]

ドミトロフ(ドミートロフ;)はロシアモスクワ州にある都市。首都モスクワの北65kmに位置する。クリャージマ川支流のヤフロマ川、およびモスクワ運河(ヴォルガ川上流とモスクワ川とを結ぶ)に沿う。人口は2002年国勢調査で 62,219人。
== 歴史 ==

=== ドミトロフの開基と最盛期 ===

この地はかつてフィン・ウゴル系民族のメリャ人が住む地だったが、1154年ユーリー・ドルゴルーキー公がドミトロフを建設したとされる。深い森の中にあったこの地は、ユーリーの息子フセヴォロド(洗礼名はドミートリーで守護聖人は聖デミトリオス)が生まれた場所で、その誕生に伴い町が建設された。
13世紀にはモスクワ公国、トヴェリ公国、ペレスラヴリ・ザレスキー公国という北東ルーシの相争う諸公国の境界が集中する場所であり、1301年には北東ルーシ諸公の会合が行われている。軍事上の要地であるだけでなく、ヤフロマ川やを通じて、南のクリャージマ川沿いのウラジーミルの都と北のヴォルガ川沿いの諸都市を結ぶ交易の町でもあった。12世紀の建設以来諸公同士の戦争で何度も略奪されたほか、1238年1293年にはモンゴル帝国による略奪も受けている。ドミトロフ自体ははるか北のガーリチ=メルスキー公国に属していたが、ガーリチとドミトロフの分裂の後、1364年にモスクワ大公国に併合された。ドミートリー・ドンスコイとその孫ヴァシーリー2世はドミトロフを息子たちに分領として与えており、長らくドミトロフは小さな分領の都であった。
イヴァン3世の息子ユーリー・イヴァノヴィチがドミトロフ公だった時期(1503年 - 1533年)、ドミトロフは最盛期を迎えた。町のクレムリンには黒いドームを頂いた生神女就寝大聖堂が建てられ、聖ボリスとグレブ修道院もこの時期に建てられた。ドミトロフの商人たちはドミトロフ公の権力の後ろ盾を得て盛んに活動し、北方の地方へ穀物などを売り、代わりに得た毛皮、塩、鳥などをモスクワへ運び、さらにヴォルガ川水系を通じてカスピ海沿岸とも交易していた。ユーリー公が逮捕投獄されると、ドミトロフは弟のスターリツァアンドレイ・イヴァノヴィチに与えられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドミトロフ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Dmitrov 」があります。




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