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ナスレッディン・ホジャ
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ナスレッディン・ホジャ : ウィキペディア日本語版 | ナスレッディン・ホジャ
ナスレッディン・ホジャ(Nasreddin Hoca)は、トルコ民話の登場人物。トルコ人の間で語り継がれる頓智話、小話の主人公であり、神話・伝説に現れるトリックスターの一人に挙げられる〔鈴木「「機智人物故事」ノート」『東京学芸大学紀要 第2部門 人文科学』34号、243頁、251頁〕。ホジャの小話を集めた行状記はトルコのイソップ童話とも言われ、トルコ文学史上重要な作品の一つに数えられている〔柴田「ナスレッディン・ホジャ行状記」『アジア歴史事典』7巻、196頁〕。ホジャが実在の人物であるか、実在したホジャがいつの時代の人物であるか明確になっていない〔護「ナスレッディン・ホジャ」『世界伝記大事典 世界編』7巻、78-79頁〕。 == ナスレッディン・ホジャの物語 == ナスレッディン・ホジャの物語が始めて文字化されたのは、15世紀後半だと考えられている〔竹田「ナスレッディン・ホジャ物語」『岩波イスラーム辞典』、706-707頁〕。物語のあらすじは基本的に単調で、最後に落ちがつく形式をとっている〔坂井「ナスレッディン・ホジャ物語」『中央ユーラシアを知る事典』、404頁〕。ティムールなどとのやり取りを述べた一部の話を除き、日常生活を題材とする小話が多い〔。10世紀末にアラブ人の間で流行したジュハ物語など様々な逸話がホジャの物語の大元になっており、それらの物語は形式や内容を変え、あるいはほぼそのままホジャの逸話として語り継がれていると考えられている〔〔『ナスレッディン・ホジャ物語』(護雅夫訳)、298,303頁〕。その様々な逸話の寄せ集めという性質上、物語に現れるホジャは賢明・愚鈍・狡猾・勇敢・臆病など異なる性格を併せ持つキャラクターとなっている〔『ナスレッディン・ホジャ物語』(護雅夫訳)、305頁〕。 コーカサス、バルカン半島、中央アジアなど、ナスレッディン・ホジャの物語はアナトリア半島外のオスマン帝国の支配地域、テュルク(トルコ)系民族の居住地域で語り継がれている〔。トルコ人だけでなくイランやアフガニスタンの人間、北ヨーロッパのフィン人にもホジャの物語は伝わっている〔。西ヨーロッパには18世紀ごろに紹介され、19世紀に入ってナスレッディン・ホジャに関する研究が盛んになった〔松村「最古期のナスレッディン・ホジャ笑話集」『大妻比較文化』9号、103頁〕。中国では阿凡提という名前で知られ、「機知人物(頓知話・知恵話の主人公)」の代名詞にもなっている〔鈴木「「機智人物故事」ノート」『東京学芸大学紀要 第2部門 人文科学』34号、243頁〕。アラブ世界では「ルーム(アナトリア半島)のジュハー」「トルコのジュハー」、イランでは「モッラー・ナスロッディーン」の名前で知られている。カザフ語ではコジャナスル(Қожанасыр)、ウズベク語ではナスレッディン・アファンディ(Nasriddin afandi)、ウイグル語ではナスレディン・エペンディ( Nesiridin Ependi)、アゼルバイジャン語ではモッラー・ナスレッディン(Molla Nəsrəddin)と呼ばれている。アゼルバイジャンの風刺誌の『』の誌名は、ホジャの名前に由来する〔。 名前の「ナスレッディン」はアラビア語で勝利者を意味する「ナスル・ウッ・ディーン」、「ホジャ」はペルシア語の尊称であるハージュ(ホージャ)に由来する〔。エフェンディ(アファンディ、エペンディ)はトルコ語の敬称で〔小山皓一郎「エフェンディ」『岩波イスラーム辞典』収録(岩波書店, 2002年2月)、216-217頁〕 、「モッラー」はイスラームの知識人に対する尊称〔東長靖「モッラー」『岩波イスラーム辞典』収録(岩波書店, 2002年2月)、1006頁〕である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ナスレッディン・ホジャ」の詳細全文を読む
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