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ニック・メイスン(Nicholas Berkeley Mason, 1944年1月27日-)は、イギリス・バーミンガム出身のドラマー。プログレッシブ・ロック・バンド、ピンク・フロイド(Pink Floyd)のメンバーで、バンド結成以来の唯一のオリジナル・メンバーである。ニック・メイソンと表記されることもある。 「ローリングストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において第51位。 ピンク・フロイドにおける経歴は「''ピンク・フロイド''」の項を参照。 == バイオグラフィー == バーミンガムの比較的裕福な家庭に生まれる。父はドキュメンタリー映画の演出家で、母はクラシックのピアニストだった。音楽的にも恵まれた環境で過ごしている。 リージェント・ストリート・ポリテクニック(現ウェストミンスター大学)に進学し、ロジャー・ウォーターズとリチャード・ライトの2人と出会う。その後、ピンク・フロイドの母体となるバンドを結成する。 ピンク・フロイドとしてメジャー・デビューしてからは、他のメンバーに先駆けてソロとしての活動を始めている。幅広い音楽業界の交友関係を生かし、多くのミュージシャンのレコーディングやツアーに参加している。ダムドやロバート・ワイアット、ゴング、スティーヴ・ヒレッジ、マイケル・マントラーなどの作品に携わってきた。ドラマーとしての参加はもちろん、プロデューサーやレコーディング・エンジニアとしての活動も行っている。 また、1981年に『空想感覚』、1985年に『プロファイルス〜ピンクの進化論』(元10ccのリック・フェンとの共作)という2枚のソロ・アルバムを発表している。ニック・メイスン名義ではあるが、どちらかというとプロデューサーとしての色彩が強い。 ウォーターズとデヴィッド・ギルモアの対立により、フロイドの活動に亀裂が入ってからも、中立的な立場を採っている。1980年代以降の2人のソロ・ツアーに顔を出すなど、どちらとも良好な関係を維持している。 1984年4月28日〜30日、ギルモアのツアー中に行われたロンドン・ハマースミス・オデオン3夜連続公演にゲスト参加する。この模様はVHS『David Gilmour』(未DVD化・国内版未発表)に収録された。 2002年6月26日〜27日のロジャー・ウォーターズのツアー中に行われたロンドン・ウエンブリー・アリーナ公演に飛び入りして、他のピンク・フロイドのメンバーより一足早く、公に和解する。 2006年5月31日、ギルモアのロンドン公演にゲスト出演していることも確認されている。このツアーにはライトも参加していたため、1980年代後期以降のフロイド・メンバー3人が揃ったことになる。 同年、ピンク・フロイドのアルバム『狂気』の完全再現で話題になったウォーターズのツアーに、スペシャル・ゲストとして6月12日、29日、7月1日、12日、14日、9月12日、13日、10月5日、6日、8日に登場する。また、2007年のツアーには5月12日のみ参加した。 これらのゲスト参加について、メイスンはインタビューで「ギルモア側、ロジャー側、どちらで演奏しても何か欠けている」と発言している。 現在では執筆家としても活動しており、2004年にはメンバー自身による初のピンク・フロイドの伝記本『Inside Out』が著されている。また、米タイム誌には、2006年7月に死去したシド・バレットへの追悼文や車に関する記事を寄稿している。 2012年に開催されたロンドンオリンピックの閉会式に出演し、ピンク・フロイドの曲「あなたがここにいてほしい」の演奏にドラマーとして参加した(他のメンバーは不参加)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニック・メイスン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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