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ネジメッティン・エルバカン(トルコ語:)、1926年10月29日 - 2011年2月27日〔ネジメティン・エルバカン氏死去 元トルコ首相 - 47NEWS(よんななニュース) 〕)は、トルコの政治家、首相(1996年6月28日-1997年6月30日)。 1973年に国民救済党党首となり、1970年代の連立政権に参加して、副首相を務めたが、1980年の軍事クーデタで失脚。民政移管後に福祉党を結成し、1996年に首相に就任した。1997年に軍部の圧力により首相を辞任した。 == 経歴 == エルバカンは、1929年に黒海沿岸の都市スィノプで生まれた。1948年にイスタンブル工科大学機械工学科を卒業後、西ドイツのアーヘン工科大学に留学して博士号を取得した。帰国後の1954年に母校のイスタンブル工科大学で教職に就いた。 エルバカンは、トルコの産業界とも親交を持ち、大財閥による経済支配を批判して、中小企業経営者の支持を集めた。彼らの支持をもとに、1968年にトルコ商工会議所連合会()会頭に就任したが、財界からの圧力により翌1969年に会頭を辞任。その後、政界への進出を目指すようになる〔澤江 pp.73-74.〕。 エルバカンは、左翼勢力と大資本を批判し、イスラーム的価値観に基づいた経済発展の必要性を主張した。中小企業の保護育成、利子の廃止、世俗主義原則の否定、欧州共同体(現在の欧州連合)加盟反対などからなる政策は、エルバカンにより「国民の視座」を意味する「ミッリー・ギョリュシュ 」の名で呼ばれ、その後の国民救済党、福祉党の理念となった。1975年にはエルバカンの著による同名の著作が公表された〔澤江 pp.77-83.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ネジメッティン・エルバカン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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