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韓 基周 (ハン・キジュ、韓国語:、1987年4月29日 - )は、大韓民国の光州直轄市(現:光州広域市)出身のプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。韓国プロ野球の起亜タイガースに所属している。 ==来歴・人物== 光州広域市の東成(ドンソン)高等学校(元光州商業高校)時代から時速150kmを超える速球で鳴らした。高校3年生であった2005年の1次ドラフトで起亜タイガースの指名を受けて、契約金10億ウォン(当時のレートで約1億500万円)、年俸2千万ウォンで入団した。契約金は球団史上最高額で彼に掛けた球団の期待の大きさを表している。 しかし、入団当初は先発ローテーションに組み入れられていたが、制球難で2軍落ちも経験。夏場からリリーフに起用されたが、これが功を奏し、翌年の2007年からストッパーに転向され、タイガースとしては1998年の林昌勇(イム・チャンヨン)以来の20セーブを記録した。それから抑えに定着して、現在まで起亜のクローザーを務めている。 抑えでの実績とMAX159km/hの球速を買われて、北京オリンピック野球韓国代表に選ばれ、壮行試合の対キューバ戦で不振だった呉昇桓(オ・スンファン)の代わりに抑えに指名された。 しかし、初戦の対アメリカ合衆国戦から2点差の9回に登板して1死も取れないまま逆転の走者を残し降板。チーム・メイトでもある後続の尹錫珉(ユン・ソクミン)が逆転を許し救援に失敗。また、3点のリードをもらって9回の頭から登板した予選の対日本戦でも1死も獲れず、一打同点の危機状況を作って降板。2日後のチャイニーズタイペイ戦では8対6に追われた6回に登板して同点を許してまた救援に失敗。7回に味方が勝ち越し点を上げて勝利投手にはなれたが、救援にことごとく失敗して、その後は登板の機会が回らなかった。 韓国代表はこの大会で史上初の金メダル獲得で最高の結果を残したが、本人にとっては散々な大会になった。勝ちゲームを散々な結果に終わったため韓国では、「サスペンス作家」などのあだ名を付けられた。しかし、オリンピック代表の一員として兵役の現役服務を免除された。 オリンピックでの不振が影響して第2回WBC選考では1次エントリーから外され、WBCでの出場はなくなるかと思われたが、2009年1月8日、予備エントリーメンバーとして選ばれた。しかし、出場選手エントリーには含まれなかった。同年の韓国プロ野球公式戦でも、序盤にセーブ失敗を重ねると抑えの座を剥奪され、シーズン中にひじの手術を受けたこともあり、2軍生活が長く続き不本意なシーズンを送り、オフの11月にはトミー・ジョン手術も受けた。2010年はすべてリハビリに費やし1軍での登板はなかったが、2011年7月に1年10ヶ月ぶりの1軍登板を果たしセーブも記録した。2013年から2014年まで一軍登板がなく、2015年ようやく一軍登板を果たしたが、2012年以降未勝利が続いている。 主な投球スタイルは、球速は早いがスピードガンに計測されるほどの威力が感じられない時があり、これが単純な球種と相まって、たまに痛打され救援に失敗することがある。 パーマのヘアスタイルに眼鏡をした姿が特徴である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「韓基周」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Han Ki-joo 」があります。 スポンサード リンク
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