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バージー・ラーオ2世 : ミニ英和和英辞書
バージー・ラーオ2世[ばーじーらーお2せい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

バージー・ラーオ2世 : ウィキペディア日本語版
バージー・ラーオ2世[ばーじーらーお2せい]

バージー・ラーオ2世マラーティー語:दुसरे बाजीराव पेशवे, Baji Rao II, 1775年1月10日 - 1851年1月28日)は、インドデカン地方マラーター王国の世襲における第8 代(最後の)宰相(ペーシュワー、在位:1796年 - 1818年)。マラーター同盟の盟主でもある。ラーオ・パンディト・パンダーム(Rao Pandit Pandham)とも呼ばれる。
==生涯==

===宰相就任===
1775年1月10日、バージー・ラーオはマラーター王国の廃位された宰相ラグナート・ラーオとその妃アーナンディー・バーイーの息子として生まれた〔PESHWA (Prime Ministers) 〕。
父であるラグナート・ラーオは宰相復帰をめざし、同年3月にイギリススーラト条約を結び、彼を失脚させた財務大臣ナーナー・ファドナヴィースとの戦争へと向かった(第一次マラーター戦争)。彼は1782年5月に講和成立するまで戦い続けたが、宰相には復帰できず、ナーナー・ファドナヴィースが王国の実権を握り続けた。
だが、1795年10月に宰相マーダヴ・ラーオ・ナーラーヤンプネーで自殺すると〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』年表、p.44〕、マラーター諸侯らの間に紛争が起き、バージー・ラーオもこれに参加した。
結局、1796年12月4日にバージー・ラーオがナーナー・ファドナヴィースの支持により、バージー・ラーオ2世として王国の宰相となった〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』年表、p.46〕。だが、彼の統治は名目上のもので、ナーナー・ファドナヴィースが実際の統治にあたっていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バージー・ラーオ2世」の詳細全文を読む




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