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パヴロフの家(パヴロフのいえ、)は、スターリングラード攻防戦における激戦区のひとつとなったアパートの通称。ここを占拠し苛烈な攻撃から守り通したヤーコフ・パヴロフ軍曹の名をとって後にこう呼ばれるようになった。 ==概要== スターリングラード(現ヴォルゴグラード)市街の中心部にあった四階建ての建物で、1月9日広場(血の日曜日事件にちなんで名づけられた)を見下ろすようにして、ヴォルガ川の堤防脇に建てられている。 1942年の9月に侵攻中のドイツ軍がこの建物を攻撃したので、ソ連親衛第13狙撃師団(13th Guards Rifle Division)はこの建物を守るよう命令を下した。負傷した上司に代わって指揮官を務めていたヤーコフ・パヴロフの部隊がここを守ることになった。当初、生存者がたった4人という過酷な戦いになったが、パヴロフの部隊は命令通りに、この建物を奪われることなく守り続けた。 しばらくして機関銃や対戦車ライフル、迫撃砲を装備した増援が到着した。全員で25人になった守備隊の兵士たちは、アパートの周囲に有刺鉄線と地雷を設置し、窓には対戦車ライフルや機関銃を据えた。また、建物内の壁と天井をぶち抜き味方同士の連絡と補給を円滑にし、同時に塹壕を掘って建物外から友軍が出入りできるようにもした。 こうしたことで、ドイツ軍の爆撃や砲撃があっても、ボートを使って川の向こう岸から運ばれてきた補給物資をこの塹壕を通じて内部に運び込むことができるようになった。 しかし、やはり食料や水はすぐに切れ、特に水不足は深刻だった。満足な数のベッドがないため、兵士達は配管から剥した断熱材の上でなんとか寝ようとした。しかし昼夜を問わず攻撃してくるドイツ軍が放つ、耳をつんざくような機関銃の音だけはどうしようもなかった。 ドイツ軍はこの建物を陥落させるべく、一日のうちに何回も攻撃を試みた。ドイツ軍の歩兵や戦車がなんとか広場を横切って建物に近づこうとするたびに、パヴロフたちは陣地の中や窓、あるいは屋根の上から強力な砲火を浴びせて応戦した。広場が死体と鉄屑の山で覆われるほどになっても、ドイツ軍はなおここを攻め落とすべく挑戦しなければならなかった。 反撃を開始していたソビエト軍の救援が11月25日に到着したことで、戦いは終了した。1942年の9月23日から続けられた激しい戦いを、パヴロフの部隊、そして未だそこで暮らしていたロシア人の市民たちは耐え抜いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パヴロフの家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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