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ヒ88J船団(ヒ88Jせんだん)は、太平洋戦争末期の1945年3月にシンガポールから日本を目指して航海した日本の護送船団である。南方占領地から日本へ向かう最後の資源輸送船団として編成されたが、護衛艦艇も含めて殆ど日本にたどり着くことはできなかった。残存護衛部隊が流用されたホモ03船団(ホモ03せんだん)についてもここで解説する。 == 背景 == 太平洋戦争初期に東南アジアの資源地帯を占領した日本は、大戦末期の1945年(昭和20年)3月になってもまだその大部分を維持していたが、資源を持ち帰るシーレーンは断絶寸前の状態であった。日本海軍は、南号作戦と号して特攻精神による石油強行輸送を試みていた。しかし、3月16日、いよいよ沖縄戦開始が近いと判断されたため、南号作戦すらも中止が決定された。 こうした中、シンガポール方面に残る輸送船をかき集めて、最後の護送船団として編成されたのがヒ88J船団である。名称は通算88番目のヒ船団(シンガポール発の石油船団)の第10分団を意味する。加入輸送船はタンカー3隻を含む7隻で、護衛艦としては海防艦5隻のほか、損傷して日本へ回航中の駆逐艦天津風が輸送船扱いで参加している。船団の指揮は、第134号海防艦に座乗する第11海防隊司令の平野泰治中佐が執った〔森田(2004年)、78-80頁。〕。この時期のヒ船団は小規模船団が多かったが、南方発最終便として可動船舶を根こそぎ集めたため、比較的に大型の船団となった〔大井(2001年)、383頁。〕。なお、南号作戦中止に伴い、護衛航空部隊の主力をこれまで務めてきた第901海軍航空隊はすでに北方へ転進開始しており、航空支援もほとんど期待できない状態だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヒ88J船団」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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