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ビービーガルダンは日本の競走馬。おもな勝ち鞍は2009年阪急杯、キーンランドカップ。 == 戦績 == 2006年7月函館競馬場でデビュー。その初戦で早くも勝ち名乗りを上げるも、札幌2歳ステークスでは距離の壁に泣き12着敗戦。この後厩舎にて調整されていたが10月に骨折を発症。症状は軽微ながら3歳夏まで休養に充てられる。 体質が弱く復帰後してからも骨膜炎のため成績を残せずにいたが、4歳春頃より症状も良化、回復後はそれまで条件クラスでもたついていた鬱憤を晴らすかのように3連勝。重賞初挑戦のキーンランドカップでは2着、さらにスプリンターズステークス3着と結果を残し、夏の上がり馬として短距離路線の一員に名を連ねた。 年明け初戦の阪急杯では、前走京阪杯の敗戦に加え1400mでの実績の無さをメディアで懸念され7番人気と評価を落とすも、連覇を目論み直線先に抜け出したローレルゲレイロを捕らえ優勝、待望の重賞タイトルを手中にする。 主戦安藤勝己のドバイ騎乗により武幸四郎に乗替となった高松宮記念では4番人気に推されたが初の左回りに終始苦戦、4角では外に膨らむ等左手前で走ることができないまま16着と大敗を喫した。その後、4月18日のマイラーズカップでは直線で一旦先頭に立つも失速し8着に敗れた。 7月5日の函館スプリントステークスに出走予定だったが、馬房内のアクシデントにより回避した。その後の2009年8月30日、4ヶ月休養して札幌競馬場のキーンランドカップに出走し、これまでの不振がウソのような鮮やかなレース運びで1着入線し、重賞2勝目を飾った。そして、10月4日のスプリンターズステークスに出走。レースでは好位追走から直線で外から追い込み、逃げ込みを図ろうとするローレルゲレイロと共に2頭が並んでゴール板を駆け抜けた。レース終了から10分近い写真判定の結果、ハナ差の2着に敗れた。11月3日、初のダートレースとなったJBCスプリントは、4コーナーで折り合いを欠き6着に敗れた。 2010年の緒戦は連覇のかかった阪急杯から始動。2番手でレースを進めたが直線で失速し7着に敗れた。3月28日の高松宮記念は最後の直線で追い込みを見せたが、キンシャサノキセキにハナ差及ばず2着に敗れた。3ヶ月の休養を挟んで、7月4日の函館スプリントステークスに1番人気で出走、中団から脚を伸ばしてくるもワンカラットの2馬身差の2着に敗れた。連覇をかけて挑んだ8月29日のキーンランドカップでも1番人気に推されたが、スタートで後手を踏んだのが響いて4着に敗れた。本番のスプリンターズステークスでは中団追走も直線ではまったく伸びず10着と大敗した。12月18日の阪神カップでも11着と大敗した。 2011年の緒戦は前年同様阪急杯、中団追走も伸びを欠き8着に敗れた。高松宮記念は中団から脚を伸ばしたがキンシャサノキセキの4着。安田記念では中団からレースを進めたが直線ではまったく伸びず15着と大敗。キーンランドカップでは好位から渋太く脚を伸ばしカレンチャンのクビ差の2着となった。その後10月2日のスプリンターズステークスに出走予定だったが、レース直前に放馬し、馬体検査の結果疲労が著しいと判断され競走除外となった。このあと12月17日の阪神カップに出走を予定していたが、12月14日の追い切り後、右第1指節種子骨々折が判明し引退、12月23日付けで競走馬登録を抹消、アロースタッドで種牡馬となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビービーガルダン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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