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『ファンタスティック・マック』(原題:Fleetwood Mac)は、1975年にリリースされたフリートウッド・マックのアルバム。2004年には未発表音源を収録したリマスター版が発売された。(たまにホワイト・アルバムと呼ばれるが、ビートルズのホワイト・アルバムと混同しないこと) ==解説== このアルバムは、フリートウッド・マックが商業的に大きな成功を収めた最初のアルバムである。 1974年12月、フロントマンであったボブ・ウェルチが脱退し、バンドは3人になってしまっていた。その頃、あるスタジオで新アルバムの録音エンジニアのオーディションをしていたミック・フリートウッドとジョン・マクヴィーは、このアルバムのエンジニアとなるキース・オルセンがオーディションに持ち込んだ作品によって当時「バッキンガム・ニックス」という名のデュオとして活動していたリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスを知る。ミックは、新たなメンバーとして2人にバンドへの参加を要請し、程なく2人はバンドに合流した。 新たな編成になったフリートウッド・マックは、ニックス・リンジー・クリスティンの3人がソングライター、ボーカリストとしてバンドを引っ張るようになった。アルバムの録音は3ヵ月ほどかけられた。そうして作成されたこのアルバムでは、音楽性がよりポップな方向へと変わっていた。「オーヴァー・マイ・ヘッド」「リアノン」「セイ・ユー・ラヴ・ミー」の3曲がトップ20ヒットになり、アルバムは、フリートウッド・マック初のビルボード1位(1週/1976年9月4日付)を獲得した。ビルボードアルバムチャートにおいて、チャートインから58週目に1位になるという珍しい記録もある(ただしチャート1位の座にあったのは、わずかに1週間だった)。完成したアルバムを聞いたワーナー・ブラザーズの幹部はアルバムの出来に興奮して25万枚売れるだろうと期待したのだが、予想は良い方に大きく外れ500万枚以上の売り上げを記録(RIAA認定)した。 バンドの名前を冠したこの作品は、当時ラジオでコンスタントに流され、彼らが音楽界のスーパースターになる一因となった。それはシングルをラジオ向けに別ミックスした(ラジオで聞いたときに印象が強くなるようにした)ことが大きい。ラジオでのヘビープレイは、より有名な次のアルバム『噂』でも続いた。また、このアルバムを出す前にバンドは小さな会場からバンドの前座としてまで様々な環境でライブを行った。こうすることで先にファンをつかむことに成功した。 2003年に、ローリング・ストーン誌上でオールタイム・ベストアルバム 500の中の183位にランクインした。〔183) Fleetwood Mac 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ファンタスティック・マック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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