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フィデル・アレハンドロ・カストロ・ルス(Fidel Alejandro Castro Ruz (13px audio), 1926年8月13日 - )は、キューバの政治家、革命家、軍人、弁護士。社会主義者で、1959年のキューバ革命でアメリカ合衆国の事実上の傀儡政権であったフルヘンシオ・バティスタ政権を武力で倒し、キューバを社会主義国家に変えた。革命によって同国の最高指導者となり、首相に就任。1965年から2011年までキューバ共産党中央委員会第一書記を、1976年より2008年まで国家評議会議長(国家元首)兼閣僚評議会議長(首相)を務めた。 国家元首として在職中、日本国内においては「カストロ議長」と呼称されることが多かった〔日本のマスコミ、とくに新聞報道では、フィデルが元首に就任して以降も長年の慣例からか1993年あたりまで肩書を元首呼称である 「カストロ議長」ではなく「カストロ首相」と呼称していた。ただし、首相にあたる役職を兼務していたので、誤りではない。〕。なお、本項では本人を指す場合は原則として「フィデル」の表記を用いる。これは、彼の弟にして後継者であるラウル・カストロの存在があるためで、ラウルについても本項では原則として「ラウル」の表記を用いる。 == 経歴 == === 大学卒業まで === 1926年、マヤリ近郊のビランにて、スペインのガリシア人移民で裕福な農場主アンヘル・カストロ・イ・アルギスの息子として生まれる。当初はマルカネにある公立のグラマースクールに入ったが、ハバナの私立小学校コレヒオ・ベレンを始めとするイエズス会の学校で教育を受け、野球に熱中した。粗暴な面があったという。1944年には最優秀高校スポーツ選手に選ばれ、1945年にはハバナ大学に入学して法律を学んだ。 大学では政治活動に参加、革命反乱同盟 (UTR) に加入する。1948年にラテンアメリカの学生運動の連合を図り、コロンビアを訪れたが、次期大統領候補だった自由党の指導者ホルヘ・エリエセル・ガイタンとの会談を予定していたその日にガイタンが暗殺され、コロンビアはボゴタソ(ボゴタ暴動)に突入した。フィデルもボゴタソに参加し、政府軍との衝突に加わった〔後藤政子・樋口聡編著『キューバを知るための52章』(明石書店、2002年12月)、68 - 69ページ。〕。投手としてメジャーリーグ選抜と対戦、3安打無得点に抑える。1950年に大学を卒業した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フィデル・カストロ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fidel Castro 」があります。 スポンサード リンク
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