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フィル・バローニ(Phil Baroni、1978年4月16日 - )は、アメリカ合衆国の男性総合格闘家。ニューヨーク州ロングアイランド出身。アメリカン・キックボクシング・アカデミー所属。 PRIDEでは美濃輪育久、長南亮、近藤有己を破るなどして活躍、ウェルター級のトップ選手の一人であった。 また、ガウンを着ての派手な入場シーンや、マーク・コールマン、ケビン・ランデルマンとのやりとりでも人気を博した。 == 来歴 == 中央ミシガン大学時代はレスリングでオールアメリカンに2度選出された〔フィル・バローニ DREAM公式サイト〕。 2001年2月23日、UFC初参戦となったUFC 30でカーティス・スタウトと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。 2005年5月22日、PRIDE初参戦となったPRIDE 武士道 -其の七-で美濃輪育久と対戦し、踏みつけでTKO勝ちを収めた。 2005年9月25日、PRIDE 武士道 -其の九-のウェルター級(-83kg)トーナメント1回戦で美濃輪育久と再戦し、0-3の判定負けを喫した。 2006年4月2日、PRIDE 武士道 -其の拾-で近藤有己と対戦し、右フックでKO勝ち。 2006年6月4日、PRIDE 武士道 -其の十一-のウェルター級グランプリ1回戦で三崎和雄と対戦し、0-3の判定負けを喫した。 2007年6月22日、Strikeforce初参戦となったStrikeforce: Shamrock vs. Baroniの世界ミドル級王座決定戦でフランク・シャムロックと対戦し、チョークスリーパーで失神一本負けを喫し王座獲得に失敗した〔【ストライクフォース】フランク・シャムロックが地元で世界王者に! 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年6月23日〕。試合後の薬物検査でアナボリックステロイドの陽性反応が検出され、カリフォルニア州アスレチック・コミッションから2,500ドルの罰金と1年間の出場停止処分を受けた。その後提訴し、10月31日の公聴会で停止期間が6か月間(12月22日まで)に短縮された。 2008年3月5日の戦極旗揚げ戦戦極 〜第一陣〜で菊田早苗との対戦が予定されていたが〔【戦極】3・5“寝技世界一”菊田、強豪バローニを相手に「3R内に一本をとる」 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年1月11日〕、2月12日に右肩負傷(右肩回旋筋腱板破裂)による欠場が発表された〔【戦極】3・5菊田と対戦のフィル・バローニがケガにより欠場 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年2月12日〕。 戦極旗揚げ戦欠場が発表される3日前の2月9日にIcon Sport参戦が発表され、バローニも記者会見に出席した。3月15日、Icon Sport世界ミドル級王座決定戦でカラ・"コロヘ"・ホースと対戦し、パウンドでTKO負けを喫し王座獲得に失敗した。欠場した戦極旗揚げ戦の10日後の大会であった。 2008年5月31日、EliteXCでジョーイ・ヴィラセニョールと対戦し、がぶられた状態から右アッパーを受け、TKO負け。 2008年9月26日、PFCでオラフ・アルフォンソと対戦し、判定勝ち。1週間後の10月3日にはStrikeforceでジェームス・マルチネスと対戦予定であったが、PFCでの目尻カットのために欠場となった。 2009年6月6日、2年ぶりのStrikeforce参戦となったStrikeforce: Lawler vs. Shieldsでジョー・リッグスと対戦し、0-3の判定負けを喫した。 2009年11月21日、4年9か月ぶりのUFC参戦となったUFC 106でアミール・サダローと対戦し、0-3の判定負けを喫した〔【UFC106】サダロー、決定機欠くもバローニをフルボッコ MMAPLANET 2009年11月22日〕。 2011年1月1日、1年1か月ぶりの復帰戦となったUFC 125でブラッド・タヴァレスと対戦し、パウンドによるTKO負けを喫した〔【UFC125】タバレス、初のIonTVマッチで逆転勝利 MMAPLANET 2011年1月2日〕。UFC復帰後2連敗となり、UFCからリリースされた。 2011年9月3日、ONE FC旗揚げ戦となったONE FC 1で吉田善行と対戦し、判定負け。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フィル・バローニ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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