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フィービ・スノウ(Phoebe Snow、本名フィービ・アン・ローブ、1950年7月17日 - 2011年4月26日)は、アメリカの歌手・作曲家・ギタリストである。代表作はチャート1位となった1975年のPoetry Man(ポエトリー・マン)。彼女の歌声は、うなるようなブルース調の低音から4オクターブ以上の音域を持っていると、ニューヨーク・タイムズは表現している。 == デビューまで == ニューヨーク市に生まれたフィービ・スノウは、デルタ・ブルース、ブロードウェーのショーミュージック、デキシーランド・ジャズ、クラシック音楽、フォーク音楽にあふれる街角に育った。彼女の父メリル・ローブは、本業は害虫駆除業者であったが、アメリカの映画と演劇に豊富な知識を持つ元エンターテイナーで、骨董品の熱心なコレクター・修復家でもあった。彼女の母リリ・ローブは、マーサ・グレアム舞踏団で演じたこともあるダンス教師であった。 スノウはニュージャージー州ティーネックの高校を卒業後すぐ、イリノイ州マウント・キャロルのシャイマーカレッジに進学したが、卒業せず音楽に没頭した。学生時代からマーティン・トリプルオーのギターを携えてグリニッジ・ビレッジのクラブを回り、アマチュア・ナイトで演奏した。彼女の芸名フィービ・スノウは、1900年代初頭のDL&W鉄道の広告に登場する、有蓋貨車に乗る若い女性の架空のキャラクターから採られた。 == デビューとPoetry Manの大ヒット == 1972年、ビターエンドクラブでシェルター・レコードのプロモーション担当重役デニー・コーデルに見出されたスノウは、契約後に初めてのレコーディングを行ない、1974年にセルフタイトル・アルバム「Phoebe Snow(邦題:サンフランシスコ・ベイ・ブルース/ブルースの妖精フィービ・スノウ)」をリリースした。ゲストにザ・パースエイジョンズ、ズート・シムズ、テディ・ウィルソン、デビッド・ブロムバーグ、デイブ・メイソンを迎えたこのアルバムは、アメリカ国内で100万枚以上を売り上げ、当時最も評価されたレコードと言われた。「Phoebe Snow」はビルボードアルバムチャート・トップ5アルバムにランクインしたのに加え、「Poetry Man」がビルボードホット100のトップ5シングルにランクインした。このアルバムでスノウは、グラミー賞の最優秀新人賞にノミネートされ、有名歌手・作曲家の仲間入りを果たした。1975年のヒットシングル「Gone at Last(邦題:哀しみにさよなら)」でも共演した、ジャクソン・ブラウンとポール・サイモンのツアーに同行して前座を務めたスノウは、雑誌ローリング・ストーンの表紙にも登場した。人気番組サタデー・ナイト・ライブへの出演では、ソロおよびポール・サイモン、リンダ・ロンシュタットとのデュエットを披露した。 ポール・サイモンのヒット曲「恋人と別れる50の方法」には、ヴァレリー・シンプソン、パティ・オースティンとともにバッキング・ボーカルとして参加した。この曲と「Gone at Last」はともに、サイモンの1975年グラミー賞受賞アルバム『時の流れに』に収録されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フィービ・スノウ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Phoebe Snow 」があります。 スポンサード リンク
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