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フルベッキ群像写真(フルベッキぐんぞうしゃしん)は、在米オランダ改革派教会から派遣されたオランダ出身の宣教師グイド・フルベッキとその子〔古写真研究家の高橋信一は次女のエマ・ジャポニカ・フルベッキ(1863年2月4日生)としている。石黒敬章著『こんな写真があったのか』(角川学芸出版 、2014年)参照。〕を囲み、上野彦馬のスタジオで撮影された44名の武士による集合写真の俗称。西郷隆盛が写っているといわれることが多い〔石黒敬章は自著『こんな写真があったのか』で、フルベッキの後ろに写るごつい顔の男が西郷ではないことは確かで、西郷の写真はない、としている。〕。「フルベッキ写真」、「フルベッキと塾生たち」とも呼ばれる〔斎藤充功(2012年)、4ページ〕。明治元年(1868年)頃、フルベッキが佐賀藩の藩校「致遠館」の学生とともに撮った可能性が高い写真とされている〔倉持基「フルベッキと塾生たち写真の一考察」(『上野彦馬歴史写真集成』、渡辺出版、2006年、98-102ページ)〕。 == 歴史 == この写真は古くから知られており、明治28年(1895年)には雑誌『太陽』(博文館)で、佐賀の学生たちの集合写真として紹介された。この「フルベッキ博士とヘボン先生」という記事を書いた戸川安宅は被写体となった人々については一切言及していない。日本滞在経験のある日本学の研究者ウィリアム・グリフィスはその著書『Verbeck of Japan』(1900年)の中で、フルベッキがアメリカに送ったこの写真は「のちに政府の様々な部署で影響力を持った人々」「のちに皇国の首相となった人物」が写されていると述べており、大隈重信と岩倉具定、岩倉具経らが確認できる、としている。その後、明治40年(1907年)に刊行された『開国五十年史』(大隈重信編)にも「長崎致遠館 フルベッキ及其門弟」のタイトルで掲載されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フルベッキ群像写真」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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