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ヘーシオドス (, Hēsíodos) は、古代ギリシアの叙事詩人。紀元前700年頃に活動したと推定される。『神統記』や『仕事と日』(仕事と日々)の作者として知られる。 1939年からギリシャで発行されていた旧50ドラクマ紙幣に肖像が使用されていた。 ==生涯== 父親は元はレスボス島の南東、小アジアの町の商人であったが破産してボイオーティアの寒村アスクラに移り住み、開拓農家として父や弟と農耕に励んだ。アスクラの東にはムーサ崇拝の地であるヘリコーン山があり、ヘーシオドスはしばしばそこを訪れた。『神統記』によれば、ヘーシオドスが羊を飼っているとき、突然にムーサが詩人としての才能をヘーシオドスに与えたという。 『仕事と日』によれば、弟ペルセースとの遺産相続をめぐる裁判に巻き込まれた。地元の領主はペルセースからの賄賂を受けて、ヘーシオドスが自分に忠実でないと難じて遺産である筈の土地を没収してペルセースに与えてしまった。このため、憤懣やるかたなかった彼は旅に出て詩人として生活するようになったのだと言う。 いずれの伝承が伝えるところが真実であるにしろ、ヘーシオドスが吟遊詩人としての訓練を積んでいたことは確かである。なぜなら当時の詩吟には高度に発達した専門的な様式が存在し、ヘーシオドスの作品もその様式に則ったものであるためである。 哲学者ゴルギアスの弟子に由来するとされる短編『』によれば、カルキスにおいてホメーロスと詩を競ったとされる。このときヘーシオドスは、戦争と武勇を讃える『イーリアス』〔13巻126行-133行及び同巻339行-344行〕を歌い聞き手の胸を熱くさせるホメーロスに対し、牧歌的な『仕事と日』〔383行以下〕を歌った為に平和な詩を愛する時の王の采配によって勝利を与えられた。 彼の最期については、古代にすでに異伝があり、トゥキュディデスの伝えるロクリスに没したとする説と、上記の『歌競べ』や7世紀の資料の伝えるオルコメノスに没したとする説がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヘーシオドス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hesiod 」があります。 スポンサード リンク
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