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ヘンリー・アダムスの教育 : ミニ英和和英辞書
ヘンリー・アダムスの教育[へんりーあだむすのきょういく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
教育 : [きょういく]
  1. (n,adj-no,vs) training 2. education 

ヘンリー・アダムスの教育 : ウィキペディア日本語版
ヘンリー・アダムスの教育[へんりーあだむすのきょういく]

ヘンリー・アダムズの教育』(''The Education of Henry Adams'')は、ボストン市民であったヘンリー・アダムズ(1838年 - 1918年)が、その晩年に至り、自分が青年時代を過ごした19世紀と何もかもが変わってしまった20世紀初頭をどのような辛酸をなめつつ生き抜いたかを記録したものである。これは、19世紀の教育理論と教育方法への痛烈な批判となっている。1907年、アダムズはこの本を自費で印刷し、ごく限られた友人たちに回覧した。商業ベースで出版されたのは、アダムズが1918年に亡くなった後のことで、翌年ピューリッツァー賞を受賞した。
== 概略 ==
『教育』は、アダムズの行動というよりも、むしろ彼の内省の記録といった性格を持っている。これは、彼の生涯を通して起きた社会的、技術革新的、政治的、そして知的な変化についての拡大的な覚書といってもいいようなものである。アダムズは、伝統的な教育は自分がこのような急激に変動していく社会に対処していくのに役立たなかったと結論づけている。そのため、彼は自ら自己教育するしかなかったのである。この本の大筋の流れは、いかにして「まっとうな」と考えられていた教育と彼の青春時代の思惑が時間の浪費になってしまったか、そして彼の経験、友情、そして読書による自己教育の探究に充てられている。
今日の世界のさまざまな様相は、アメリカの南北戦争第一次世界大戦の間の50年間に出現してきた。つまりアダムズの成人になってからの人生とほぼ一致している。『教育』の重要なテーマの一つは、著者の生涯にわたって展開されたこの科学の急速な進歩に対する当惑と関心である。彼はそれを往々にして第二次産業革命と呼んでいるが、自分ではそれが「電気」という言葉に尽きると考えていた。
『教育』は、X線放射能という最近の発見について言及し、マルコーニエドアール・ブランリーを引用しながら、電波についても知識のあるところを見せている。アダムズは、1902年には早くも自動車を購入し、これでフランスでの夏に「モン・サン・ミッシェルシャルトル」を回るのに便利になるといっている。1904年に私家版で、研究書『モン・サン・ミシェルとシャルトル』を出している。
アダムズは、20世紀がそれまで以上に爆発的な変化をもたらすだろうと正確に予言している。彼は、古典、歴史と文学に基礎をおいた彼の正規の教育が、たとえそれが当時の流行であったにせよ、1890年代、1900年代の科学の爆発的進歩を捉えるのに必要な科学的、数学的知識を与えてくれなかったと、繰り返し嘆いている。
2つの特徴が『教育』をその他の通常の自伝から区別している。そのひとつは、これが三人称で語られているということ、二つ目は、それがたびたび皮肉とユーモアに富んだ自己批判を見せていることである。『教育』は、アダムズの多年にわたる友情に言及する。その友人とは、一人は中西部にいる地質学者、クラレンス・キングで、もう一人はアメリカの外交官、ジョン・ミルトン・ヘイである。
『教育』は、アダムズの結婚、病気、1885年の彼の妻、マリアン・フーパー・アダムズの自殺については語っていない。妻に限らず、女性についての記述はほとんど皆無である。
アダムズは、実にいろいろな仕方で素晴らしく思索に富み、自己批判を交えて語っているが、いずれにせよ、彼がありのままの経験から学んだことについては、歯切れのよい仕方ではかたっていない。ただし、彼は実際のところ間接的には自分の結婚にして言及している。たとえば、彼が妻と作ってきた思い出の場所が単なる観光名所になってしまったと嘆いているような箇所などである。より一般的にいうならば、彼の人物像は、その死後かなり変わってきていることを注記しておく。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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