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ベレッタM1915は、1915年にイタリアのベレッタ社が初めて開発した自動拳銃である。 イタリア軍は1910年にセミ・オートマチックピストルとして、自国産のグリセンティ・オートマチック(後のグリセンティM1910)を正式採用していた。しかし1905年から本隊にさきがけて国境警備隊で使用され始めたグリセンティ・オートマチックの評判は芳しくなかった(グリセンティM1910の項を参照)。さらに第一次世界大戦が始まるとグリセンティは供給不足に陥った。そのため急遽開発されたのが本銃である。 軍の要請もありベレッタ社は銃不足の解消のため商売上の関係のあったスペインからビクトリア・セミオートマチックという銃を輸入し軍に納入を試みた。しかしビクトリア・セミオートマチックは出来が悪くグリセンティの替わりにすらならないことがわかりベレッタ社は拳銃の自力開発・生産を決定する。だがベレッタ社は老舗の銃器メーカーであったとはいえ、当時狩猟用ショットガンを製造していたため拳銃製作のノウハウはほとんどなかった。そこでジョン・ブローニングの拳銃をベースとして要求された水準のものを短時間で作り出そうとした結果生まれたのが本銃であった。設計は社の技師、ギアンドーソによる。口径は9mmであり弱装弾の9mmグリセンティを用いる。ハンマー内蔵式のストレートブローバックであり大型のスライドを持っていたためグリセンティで問題になっていた構造の脆弱性は解消されていた。トリガーシアーがマガジンを覆う環状な部品であるなど随所にブローニングの影響が見て取れる。本銃はイタリア軍に制式採用となった。その後ベレッタはイタリアの代表的拳銃メーカーとなる(ベレッタM1934の項を参照)。 独自な工夫は外観に集中しており、スライドの前部1/3ほどを切り欠いている、いわゆるベレッタ・スタイルは本銃から始まった。しかしこの設計は意図不明でもあった。ワルサーP38のようにスライドの切り欠きは排莢口としてあけられることが多いはずだが、本銃では別に排莢口が開けられている(後のモデルでは一体化)。またフロントサイトはバレルに直づけされており、スライド先端はスリット状になってフロントサイトを挟み込む形になっている。スライド前端が接着されていないこの点も強度不足を招きかねない設計であり疑問が残る。9mmパラベラム弾との兼ね合いも推測されるが詳細は不明である。当初セフティはフレーム左側後方につけられていたが量産型ではフレーム末端に移された。コマーシャルモデルではリアセフティも廃され、元々あったトリガーロックだけになっている。 ==バリエーション== *ベレッタM1915/17 :民間に市販されたコマーシャルモデル。先述のリアセフティが廃されたモデルである。 *ベレッタM1919 :M1915を.25口径にして小型化したタイプ。ブローニング・ベビーやコルト・ベスト・ポケットの大ヒットに影響されたと思われる。撃発をストライカー方式に変えグリップセフティを追加した模様。 :初期のジェームズ・ボンドが使用したがこちらはあまりセールス的に成功しなかったようだ。EVE burst errorにて、法条まりなが愛用。 *ベレッタM1922 :先述の欠点とも思われる排莢口とスライドの切り欠きを一体化、フロントサイトもスライドに取り付けられたタイプ。この銃でベレッタ・スタイルが真に完成したと言える。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ベレッタM1915」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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