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カマルグ(''Camargue'' )は、イギリスの自動車メーカー・ロールス・ロイスが1975年〔『世界の自動車-22 ロールス・ロイス ベントレー - 戦後』p.119-125。〕から1986年〔『ワールド・カー・ガイド27ロールス・ロイス&ベントレー』p.106。〕まで生産した大型高級2ドアクーペである。 == 概要 == ベントレーT1をベースに作られ1968年にロンドンショーに出展された「ベントレーTピニンファリーナクーペ」が原形である〔『世界の自動車-22 ロールス・ロイス ベントレー - 戦後』pp.94-118。〕〔。1969年に開発中の社内呼称「デルタ」=カマルグのデザインを依頼するためロールス・ロイスがピニンファリーナに接近しており、この自動車がきっかけとなったとも言われているが、実際のカマルグの生産車とスタイリングの共通点はほとんどない〔。ロールス・ロイスからピニンファリーナに出された条件は「威厳に満ち、古臭くならないこと」であった〔。 1975年3月に発表されたカマルグは、他のロールス・ロイス、ベントレー各車同様ミュリナー・パークウォードが製作した車体を持っていたが、デザインはイタリアのカロッツェリア・ピニンファリーナ所属であったデザイナーパオロ・マルティンによるもので、第二次世界大戦後のロールス・ロイスのシリーズ生産車としては初めて自社デザインスタジオ以外でデザインされたモデルとなった。 名称は、南フランスの地名「カマルグ」に由来する。 販売当時、ファントムVIを除くと同社ラインナップ内で最も高価格のトップモデルであり、なおかつデビュー当時は世界で最も高価な市販乗用車でもあった。ファントムVIはあくまで特別生産車であり、カマルグは「ショールームで買うことのできる世界一高額な車」とされた。イギリスでは税込み£29,250でジャガー・XJ6が5台買える価格であった。アメリカ合衆国では当時$147,000(2008年の貨幣価値では$588,000)で販売された。日本にも当時の代理店コーンズによって輸入され、1985年の販売価格は4,800万円〔であった。 V型8気筒OHVの内径φ104.1mm×行程99.1mmで6,747.7cc、圧縮比7.3の水冷エンジン〔、コラムシフトのゼネラルモーターズ(GM)製ターボハイドラマティック(TH400)3速ATなど、機構的にはロールス・ロイス・シルヴァーシャドウやその2ドアクーペ/コンバーティブル版のコーニッシュとほぼ共通であったが、カマルグの特色は同じくマルティンがデザインしたフィアット・130クーペに似た1970年代らしいボディスタイルと、カマルグがデビューする8年も前から開発が続いていた、当時としては極めて画期的な、左右独立の温度調整が可能なフルオートエアコンであった。このエアコンは後にコーニッシュ、シルヴァーシャドウII、ベントレーT2にも採用された〔。 最初の65台にはスキナーズ・ユニオン(SU)製ツインキャブレター〔『外国車ガイドブック1976』p.70。〕〔『外国車ガイドブック1981』p.217。〕〔、その後の471台はソレックス製キャブレターを用いた。1977年2月にはシルヴァーシャドウがIIに発展したことを受け、そのパワーステアリングがラック・アンド・ピニオン式に変更され、高速安定性が改善した。1979年にはリアサスペンションがシャドウの後継モデルであるシルヴァースピリットのものに変更された。 外国車ガイドブックによれば1984年版からボッシュKジェトロニックとなり、圧縮比が8.0に向上している〔〔 カーステレオはボッシュ製のAM/FMラジオとパイオニアのカートリッジプレーヤーが標準装備された。 タイヤサイズは235/70HR15〔〔。 ロールス・ロイス車として初めてメートル法で設計された。また、伝統のフロントグリルは4度前方に傾斜している。1986年まで11年間、525台がロールス・ロイスとして、1台が特注でベントレー・カマルグとして生産された〔。 日本仕様は触媒方式で51年排出ガス規制に適合している〔『外国車ガイドブック1977』p.73。〕。運輸省形式はC-SR2〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロールス・ロイス・カマルグ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Rolls-Royce Camargue 」があります。 スポンサード リンク
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