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ボストン糖蜜災害(ボストンとうみつさいがい、''Boston molasses disaster''、またの名を糖蜜大洪水、''Great Molasses Flood'')は、マサチューセッツ州ボストンの港湾部ノースエンドで1919年1月15日に発生した事故である。ピュリティー蒸留会社の敷地にあった糖蜜を詰めた巨大な貯槽が破裂し、糖蜜の波が推定時速60キロメートルで街路を襲い、21名が死亡、150名以上が負傷した。この事故は現地の伝説となり、ボストンの住民は今でも糖蜜の匂いがすると主張している。 == 事故の経緯 == この災害の起きた日は禁酒法の憲法修正第18条が承認される前の日だった。当時、糖蜜は北米での標準的な甘味料だった(現在では砂糖に置き換わっている)。また、糖蜜は発酵させてエチルアルコールを回収し、酒に使われたり、軍需品の生産のための主要な成分として用いられていた〔Puleo, Stephen, "Dark Tide: The Great Boston Molasses Flood of 1919" , page 11. Beacon Press, 2004, ISBN 0-8070-5021-0〕。ボストン港ノースエンド地区の、コマーシャル街とチャールズ川の間にある巨大貯槽に貯蔵された糖蜜は、マサチューセッツ州ケンブリッジ市の、ウィロー街と現在エヴェレテーズ通りと呼ばれている場所の間にあるピュリティー蒸留会社の工場へ移送されるのを待っていた。 1919年1月15日、1月にしては気温の高い日の昼過ぎ、コマーシャル街529番地で、巨大な糖蜜の貯槽(高さ15メートル、胴回り70m、容量9,500,000リットル)が突然崩壊した。この崩壊により糖蜜が放出され、高さ2.5~4.5メートル、時速60キロメートルで移動する巨大な糖蜜の波となった。その圧力は200kPa(訳注:1平方メートル当たり約20トン)に及んだ 。糖蜜の津波は、隣接するボストン高架鉄道のアトランティック通り高架線の桁を破壊し、列車を軌道から押し流した。いくつかの近隣の建物をも破壊し、数ブロックは60センチメートル~1メートルの深さまで没した。糖蜜の衝突及び窒息により21人が死亡、150人が負傷した。救出に向かった者も、犠牲者を助けようにも糖蜜の中を通るのが困難な有様であった。 石畳の通り、劇場、事務所、自動車や住宅から糖蜜を洗い流すには6ヶ月以上を要した。糖蜜の流入によりボストン内港の海面は夏まで茶色を呈していた。あまりにも清掃に時間と労力がかかったため、事故から30年が過ぎた頃でもまだ、暖かい日には糖蜜の香りが町に漂うといわれるほどであった〔JST失敗知識データベース 〕。 現地の住民は、ピュリティー蒸留所を1917年に買収していた米国産業アルコール会社を相手取って集団訴訟を起こした。企業側はその貯槽が無政府主義者によって爆破されたのだと主張したが、最終的に60万ドル(2005年の相場で660万ドルに相当する)を支払うことで示談になった。 ピュリティーの親会社であった米国産業アルコールは、その貯槽を再建しなかった。その土地はボストン高架鉄道の作業場となり、現在では市有の野球場になっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボストン糖蜜災害」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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