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ポール・デスモンド(Paul Desmond、1924年11月25日 - 1977年5月30日)は、アメリカ合衆国のジャズ・サックス奏者、作曲家。ウエストコースト・ジャズを代表するミュージシャンの一人で、デイヴ・ブルーベック・カルテット在籍時に作曲した「テイク・ファイヴ」等で知られる。 == 来歴 == サンフランシスコ出身。12歳でクラリネットを始め、後にサックスに転向。1946年、ジャズ・ピアニストのデイヴ・ブルーベックのバンドでデビュー。1956年にはジョー・モレロ(ドラム)が、1958年にはジーン・ライト(ベース)がデイヴのバンドに加入。1967年に至るまで、この4人で多くのアルバムを発表するが、特に『Time Out』(1959年)は、ポールが作曲した5拍子の楽曲「テイク・ファイヴ」が評判となった。更に1964年には、日本公演の印象を元に、日本の地誌や文化をテーマにしたアルバム『Jazz Impressions of Japan』を発表。 デイヴとの活動以外では、ジェリー・マリガンと度々共演し、また、1950年代中期からは、バンド・リーダーとしての活動も多くなる。1963年から1965年にかけて、RCAビクターと契約していた頃は、コニー・ケイ(モダン・ジャズ・カルテット)やジム・ホール等がポールのサイドマンを務めた。1963年に作曲・録音した楽曲「テイク・テン」は、「テイク・ファイヴ」の続編として作られたもの。 デイヴ・ブルーベック・カルテット脱退後、A&Mレコード内のサブ・レーベルCTIに移籍。全曲サイモン&ガーファンクルのカヴァーから成る『Bridge Over Troubled Water』(1969年)等の意欲作を発表。その後、A&Mのプロデューサーのクリード・テイラーがCTIレコードを独立させると、ポールも同社の専属となる。アルバム『Skylark』(1974年)は、「愛のロマンス」(映画『禁じられた遊び』テーマ曲)のジャズ・ヴァージョンを収録。また、チェット・ベイカーの復帰作『She Was Too Good To Me』(1975年)やジム・ホールのヒット作『Concierto』(1975年)に、サイドマンとして参加。 1977年5月30日、肺癌で他界。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポール・デスモンド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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