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マイク・ロトンド(Mike Rotundo、1958年3月30日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。フロリダ州セントピーターズバーグ出身。本名はローレンス・マイケル・ロタンダ(Lawrence Michael Rotunda)。 IRSことアーウィン・R・シャイスター(Irwin R. Schyster)、マイケル・ウォールストリート(Michael Wallstreet)などのリングネームで知られる。 ブラックジャック・マリガンの娘婿で、バリー・ウインダムやケンドール・ウインダムとは義兄弟にあたる。息子のウィンダム・ロタンダ(デューク・ロトンド / ブレイ・ワイアット)とテイラー・ロタンダ(ボー・ロトンド / ボー・ダラス)もプロレスラーである。 == 来歴 == シラキュース大学でレスリング選手として活躍後、大学の先輩であるザ・デストロイヤーにスカウトされ、1981年9月22日、西ドイツにてプロデビュー〔『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P45(2002年、日本スポーツ出版社)〕。 1982年より、アメリカのノースカロライナ州に本拠を置くジム・クロケット・ジュニア主宰のMACWで活動。レスリングの素地を持つ技巧派のベビーフェイスとして頭角を現し、同年12月25日にレロイ・ブラウンからNWAミッドアトランティックTV王座を奪取。翌1983年8月7日にはカナダのトロントにて、ドン・カヌードルを破りNWAカナディアンTV王座を獲得した。 1983年9月より、エディ・グラハムが主宰していた地元フロリダのCWFを主戦場とし、9月24日にロン・バスからフロリダ版のNWA南部ヘビー王座を奪取、12月16日にはトーナメント決勝でグレッグ・バレンタインを破りNWAフロリダ・ヘビー級王座を獲得した。CWFではバリー・ウインダムとのタッグチームでも活動し、1984年3月14日にロン・バス&ブラック・バートのロング・ライダーズからUSタッグ王座を奪取。以降も同王座を巡り、ロング・ライダーズと抗争を展開した〔。 1984年末、バリー・ウインダムと共にWWFに移籍。フェイスターンしていたキャプテン・ルー・アルバーノをマネージャーに迎え、"USエクスプレス" のチーム名で活躍。翌1985年1月21日、ディック・マードック&アドリアン・アドニスのノース・サウス・コネクションを破り、WWF世界タッグ王座を獲得する。3月31日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催されたレッスルマニアの第1回大会でアイアン・シーク&ニコライ・ボルコフに奪取されるも6月17日に奪還、8月24日にグレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキのドリーム・チームに敗れるまで戴冠した〔。 1986年1月、ウインダムとのコンビで全日本プロレスに初来日。この時点でUSエクスプレスはWWFを離脱していたが、ロトンドは以降もWWFに単発出場し、ダニー・スパイビーとの新チーム "アメリカン・エクスプレス" などで活動、ブレット・ハート&ジム・ナイドハートのハート・ファウンデーションやアックス&スマッシュのデモリッションとも対戦した。 1987年3月15日には古巣のCWFにおいてエド・ガントナーを破りNWAフロリダ・ヘビー級王座に返り咲き、6月7日にもドリー・ファンク・ジュニアを下して再び戴冠、同年にCWFはMACWに吸収合併されたため、同王座の最後のチャンピオンとなった〔。以降、かつての活動拠点であったMACWに主戦場を移す。 同年末にヒールに転向し、リック・スタイナーと大学のレスリング部をモチーフとした体育会系ユニット "バーシティ・クラブ" を結成。試合用コスチュームもショートタイツからアマレス選手スタイルのショルダータイツとなった。スタイナーと仲間割れ後の1988年9月からはスティーブ・ウィリアムスを新パートナーに活動(マネージャーはケビン・サリバンが務め、後にダニー・スパイビーも加入)。1989年4月2日、ウィリアムスと組んでロード・ウォリアーズを破りNWA世界タッグ王座を獲得した。 バーシティ・クラブ解散後、MACWを買収したWCWにて、1990年11月より証券アナリスト・ギミックのマイケル・ウォールストリートに変身。以降、1990年代は頭脳派のホワイトカラー系ヒールとして活躍し、1991年3月の新日本プロレス来日を経て、同年4月よりアメリカ国税局(Internal Revenue Service)と同じイニシャルのIRSことアーウィン・R・シャイスター(Irwin R. Schyster)を名乗りWWFに参戦。ワシントンD.C.出身の元IRS収税吏というキャラクター設定のもと、眼鏡にスーツ姿でブリーフケースを手に、マイクで観客に納税を促しながらリングに登場。Yシャツにネクタイ、スラックス姿のまま試合を行うなど、WCWでのマイケル・ウォールストリートをさらに発展させたギミックで注目を集め、ハクソー・ジム・ドゥガンやビッグ・ボスマンなどのブルーカラー系のベビーフェイスと抗争を繰り広げた。 1992年からは金満家ギミックの"ミリオンダラー・マン" テッド・デビアスと "マネー・インコーポレーテッド(マネー・インク)" なるタッグチームを結成。同年2月7日、リージョン・オブ・ドゥームを破りWWF世界タッグ王座を再び獲得〔。1993年4月4日のレッスルマニアIXでは、ハルク・ホーガン&ブルータス・ビーフケーキのザ・メガマニアックスを挑戦者チームに防衛戦を行い、デビアスと共にホーガンのWWF復帰戦の相手を務めた。その後もWWFに定着し、デビアスとのマネー・インクではナチュラル・ディザスターズやスタイナー・ブラザーズ、シングルではタタンカやレイザー・ラモンなどと抗争を展開した。 1995年9月、WWFを離脱してWCWに移籍。ビンセント・ケネディ・マクマホンのイニシャルをもじったV・K・ウォールストリートを名乗ってWWFからの回し者キャラクターを演じ〔、初戦となる9月11日放送のマンデー・ナイトロにてスティングのUSヘビー級王座に挑戦した。1997年からはnWoの一員となり、同年6月にマイケル・ウォールストリートの名で新日本プロレスに6年ぶりに来日。以降も1999年まで新日本プロレスに再三来日し、蝶野正洋率いるnWoジャパンおよびTEAM 2000で活躍した〔。 WCW離脱後は日本を主戦場とするようになり、2000年11月には全日本プロレスでスティーブ・ウィリアムスとバーシティ・クラブを再結成し世界最強タッグ決定リーグ戦に出場、12月9日の日本武道館での決勝戦で川田利明&渕正信を破り優勝を果たした。2001年2月24日には、博多スターレーンにて太陽ケア&ジョニー・スミスの世界タッグ王座にウィリアムスと組んで挑戦している。 2003年11月にはバリー・ウインダムとのUSエクスプレスでIWAジャパンに参戦。翌2004年5月4日、同団体の後楽園ホール大会で引退試合が行われ、ウインダム&三宅綾と組み、ジム・ドゥガン、ロード・ウォリアー・アニマル、松田慶三のトリオと6人タッグマッチで対戦(レフェリーはテッド・デビアス)、ドゥガンからフォールを奪い勝利を飾った。 引退後は、2006年よりWWEのロード・エージェントとして活動〔。番組内にも時折登場し、2010年3月29日のRAWで行われたクリスチャン対テッド・デビアス・ジュニアのランバージャック・マッチでは、テッド・デビアス、ニック・ボックウィンクル、パット・パターソン、サージェント・スローター、トニー・ガレア、リッキー・スティムボート、ロディ・パイパー、ジェリー・ローラー、アーン・アンダーソンらと共に、レジェンドの1人としてランバージャック役を務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイク・ロトンド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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