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マイケル・シェンカー(ミヒャエル・シェンカー〔国外では英語の発音で呼ばれるため、ドイツ国内のみ〕、Michael Schenker、1955年1月10日 - )は、ドイツ出身のハードロックのギタリスト。白と黒の2色で塗り分けられたギブソンのギター「フライングV」を使用していることで有名〔ただし、スコーピオンズの1972年のプロモーションビデオ「I'm Going Mad」でマイケルが弾いているのはレスポール・モデルのギターであり、フライングVではない。〕。日本ではアルバムの邦題から「神」とも称される。 実兄はスコーピオンズのリーダーであるルドルフ・シェンカー、実妹はヴィーヴァのキーボーティストであるバーバラ・シェンカー。 ==来歴== 兄であるルドルフ・シェンカーの影響で幼少期よりギターを始める。11歳で初ステージを踏み、15歳でスコーピオンズのデビューアルバム『恐怖の蠍団』にリード・ギターとして参加した(なお、ルドルフがリズムギターを務めた)。 1973年6月、リードギターを探していたUFOからオファーを受け加入。これは、前年にスコーピオンズがUFOのドイツ・ツアーの前座を務めた際、UFOの当時のギタリストだったミック・ボルトン(バーニー・マースデンとの説もあり)が突如失踪し、急遽マイケルを借りたという出来事がきっかけであった。 UFOには1978年まで在籍し6枚のアルバムに参加。UFOの世界的な成功に貢献する一方、メンバーとのコミュニケーションやアルコールの問題を抱えていた。 UFO脱退後、短期間ながら古巣のスコーピオンズに所属した後、1979年に自らのバンド、マイケル・シェンカー・グループ(MSG)を結成。デビューから1984年までに4枚のスタジオ・アルバムと2枚のライヴ・アルバムを発表。ロック・ギターの名手として一時代を築いた。 ボーカルのロビン・マッコーリー加入にともない、1986年から1993年にかけては「マッコーリー・シェンカー・グループ」名義で活動。3枚のスタジオ・アルバムをリリースした。 1993年、UFOの再結成に参加。新アルバムのレコーディングやライブ活動で1995年まで在籍した。 1996年、マイケル・シェンカー・グループを再始動させる。近年は並行して自身のソロ・プロジェクトも行っている。 2006年には、ヴァッケンの野外コンサートで、息子でFaster Infernoのギタリストのタイソン・シェンカーと競演した。 2011年、ソロアルバム「テンプル・オブ・ロック」を発表。これ以降はこのアルバムから発展したマイケル・シェンカーズ・テンプル・オブ・ロックとして活動を行っており、精力的にワールドツアーを行っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイケル・シェンカー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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