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マキンの戦いとは、第二次世界大戦中の1943年11月20日から1943年11月23日にかけて、ギルバート諸島ブタリタリ環礁で行われた日本軍守備隊とアメリカ軍との戦闘。アメリカ軍はガルヴァニック作戦(Operation Galvanic)の一環として攻略した。 当時、ブタリタリはマキン環礁と呼ばれることが多かったために一般にマキンの戦いとして知られるが、現在のマキン島(当時はリトルマキン島と通称)とは異なる、現在のマキン島の隣島で起きた戦闘である。以下、本項ではブタリタリのことをマキンと呼ぶ。 ==背景== ===連合軍の戦略=== アリューシャン方面の戦いの終了、ソロモン方面での戦いの好転により、アメリカ海軍は1943年終わりには中部太平洋への侵攻が可能となった。そのため、米国統合戦略委員会は1943年の初めから中部太平洋を西(日本の方角)に向かって進撃することを計画していたのだが、南太平洋最高司令官であるダグラス・マッカーサーはニューギニアからフィリピンに至るカートホイール作戦の実施を主張し、この計画に反対したため、アメリカ陸軍とアメリカ海軍で意見が分かれた。 米国統合参謀本部はカートホイール作戦のみでは日本軍に側面から脅かされると判断し、カートホイール作戦の実施と共に中部太平洋への侵攻を決定する。この決定により統合参謀本部は1943年7月20日、チェスター・ニミッツ太平洋艦隊司令長官に対し、11月15日頃にギルバート諸島とナウル島を攻略し、翌1944年の1月頃にマーシャル諸島を攻略するように下令した。 1943年8月21日から8月24日の間にはカナダのケベックでアメリカ合衆国、イギリス、カナダ、フランスの四箇国が会談し、この会談により中部太平洋への侵攻作戦の具体案が決定した。それは占領した島を拠点として次の島を攻略し、日本本土へ迫るというものであった。 ギルバート諸島への攻撃はこの計画の最初のステップであった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マキンの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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