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マサ高梨 : ミニ英和和英辞書
マサ高梨[まさたかなし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [なし]
 【名詞】 1. nashi (Japanese pear) 

マサ高梨 : ウィキペディア日本語版
マサ高梨[まさたかなし]

マサ高梨(マサたかなし、1983年1月22日 - )は、日本男性プロレスラー千葉県市川市出身。DDT所属。本名、高梨 将弘(たかなし まさひろ)。
== 経歴 ==
闘龍門に第9期生(同期には石森太二ら)として入門するもデビューには至らず。
; 2003年
: 6月にDDTへ入門、9月14日船橋ららぽーとWEST5階屋上大会のリングにおける対スーパー宇宙パワー戦でデビュー。
; 2004年
: 5月29日の北沢タウンホール大会で行われたKING OF DDTトーナメント1回戦で、一宮章一を破った。
; 2005年
: 1月30日の後楽園ホール大会より、マサ高梨に改名。
: 4月24日から5月15日にかけて行われた、KAIENTAI-DOJOK-METAL LEAGUE'05に参戦した。また、この年の後半には、根性の足りない忍者であると看破され、すぎはら美里猪熊裕介による特訓が開始された。暴走族とのチキンラン、パラワンヒラタオオクワガタとの一騎討ち、浜名湖サービスエリアへの置き去り、マッドマン・ポンドによる家庭教師などの理不尽な特訓に耐えた。
; 2006年
: 1月29日、ポイズン澤田JULIE率いる蛇界に取り込まれマサ高マムシとなった。
: 4月27日より全身金色の自称エルドラドの王、キング・ポコダとしてプロレスリング・エルドラドに登場。キング・ポコダ名義はエルドラド代表となる。
: 蛇界崩壊後の5月から11月頃まで、DDTでのリングネームはポコ高梨(一週だけ高梨ポコダ)を使用していた。
: 10月15日、アイスリボンの千本桜ホール大会に初参戦。以後アイスリボンではリボン高梨というリングネームとなる。
: 11月23日、新宿FACE大会において諸橋晴也とのコンビでフランチェスコ・トーゴーモリ・ベルナルド組を破り、第23代CMLL認定KO-Dタッグ王者となるが、2007年4月1日の後楽園ホール大会でヌルヌルブラザース(中澤マイケル松永智充組)に敗れ王座転落。
; 2008年
: 2月20日、新木場1stRING大会で男色ディーノからDDTエクストリーム選手権を奪取。また年頭から主に地方大会で下克上を宣言し、反乱軍の結成をアピールしたが、様々なハプニングにより正式名称やメンバーの発表には至らなかった。これとは別に男色ディーノ矢郷良明らと“ベルトハンター×ハンター”なるユニットも結成している。12月28日の後楽園ホール大会でイタリアン・フォー・ホースメンとの敗者追放マッチに敗れ、DDTのリングを去る。
; 2009年
: 1月4日、新木場1stRING大会から遠縁のルイ高梨14世が参戦。
: 5月4日、後楽園大会ホール大会でイタリアン・フォー・ホースメンとの敗者追放マッチに敗れ、ルイ高梨14世がDDTのリングを去る。
: 5月21日、新木場1stRING大会で高木三四郎と事実上の引退をかけた試合に勝利し、DDTに復帰する。
: 8月23日、両国大会での男色ディーノの八冠統一戦(最終的には九冠戦)の相手に指名されベルト集めに奔走した結果、統一戦では敗れて失ったものの一時五冠を達成する。
: 9月27日、男色ディーノと「ベルトハンター×ハンター」を結成。のちにヨシヒコ佐藤光留石井慧介が合流し一大勢力となる。
: 11月29日、男色ディーノと佐藤光留とのタッグでイタリアンフォーホースメンを破りUWA世界6人タッグ王者となる。
; 2010年
: 1月24日、東京愚連隊に敗れ、6人タッグ王座から陥落する。
: 3月14日、次期KO-D無差別級挑戦者決定バトルロイヤルで優勝し、4月4日の新宿大会で現王者関本大介に挑戦。25分を超える激闘の末惜しくも敗れる。
: 5月12日、練習中に右膝前十字靭帯断裂、内側靭帯損傷、膝関節亜脱臼の大怪我。長期の欠場が発表された。
: 6月5日、DDT直営のスポーツバー「ドロップキック」で泥酔して眠りこけていた当時のアイアンマン王者の男色ディーノからベルトを奪取、838代目王者となる。
; 2011年
: 2月18日、19時女子プロレスにて、レギュラーのGENTAROの欠席に伴う実況・解説として復帰。
: 6月15日、アイスリボン299・イサミレッスル武闘館にて、大会前に復帰挨拶の最中、さくらえみに急襲されてアイアンマンヘビーメタル級王座のベルトを奪われてしまう(その後、長野レミみなみ飛香→さくらえみに移る)が、大会終了後に再び奪取した。
: 6月19日、DDT後楽園大会にて、石井慧介とのアイアンマンヘビーメタル級王座防衛線を行い敗北したものの、直後に一時奪回したが、控え室で石井と小競り合いをしている最中に再び奪われた。
: 7月24日、DDT両国国技館大会において関本大介とタッグを組み、KO-Dタッグ王座戦(4WAYマッチ)に勝利し、第38代王者となるが、8月28日後楽園大会で男色ディーノ&飯伏幸太組に敗れ、王座から陥落した。
: 第2回DDT48総選挙で5位に入り、10月23日の総選挙上位者興行に出場、メインイベント後に行われたじゃんけん選抜に勝利し、11月6日大阪大会でのKO-D無差別級王座への挑戦権を獲得した。
: 11月30日のアイスリボン・347にて、新田猫子を破り第8代トライアングルリボン王者となる。男子選手による戴冠は初。
;2012年
: 3月11日のDDT後楽園大会でKO-D無差別級王者男色ディーノの指名により、翌週3月18日の新木場大会で高木三四郎と次期KO-D無差別級選手権挑戦者決定戦に挑むものの敗れる。
: 4月1日、DDT後楽園大会で行われた「いつでもどこでも挑戦権および次期挑戦者決定時間差入場バトルロイヤル」で(KO-D無差別級王座への)いつでもどこでも挑戦権を獲得。メインのKO-D無差別級王座戦で男色ディーノを破り新王者となった高木三四郎の前に現れ、その場で挑戦権を行使。高木をわずか124秒で破り第40代KO-D無差別級王者となる。
: 6月15日、地元に近い東部フレンドホールで自主興行を開催。松永智充を降す。
: 7月4日、タイに渡り、地下プロレスEXITに参戦。
: 7月22日、プロレスリング・ノアに本名の高梨将弘で参戦。石森太二と対戦するも敗北。
: 9月6日、再びタイに渡り、我闘雲舞旗揚げ戦に出場。以降、レギュラー参戦している。
; 2013年
: 10月26日、ロシアに渡り、IWFに参戦。
: 12月17日十周年記念興行「瑞江冬の陣」でKUDOと対戦するも敗北。
; 2014年
: 1月13日、道頓堀アリーナで980代アイアンマンヘビーメタル級王者となる。
: 4月、2度目のロシア遠征を行う。
; 2016年
: 3月11日、我闘雲舞タイ大会に参戦した後、シンガポールへ渡り、SPW(シンガポールプロレスリング)に参戦。ザ・ストイトメイトが持つSPW認定東南アジア選手権に挑戦して勝利。その日のうちに帰国して我闘雲舞市ヶ谷大会で凱旋試合を行った〔高梨がシンガポールで王座奪取、本日ベルトを持って市ヶ谷凱旋 - 我闘雲舞公式ブログ「わふーでよよよ」 2016年3月22日閲覧。〕。
: 3月24日、我闘雲舞新木場大会において、SPW東南アジア選手権試合で井上雅央の挑戦を受けたが防衛を果たした〔我闘雲舞 3・24新木場大会 【IWA三冠】米山vs里歩 【アジアドリームタッグ王座】さくら&高梨vsSAKI&MIZUKI 【SPW認定東南アジアシングル】高梨vs井上 - バトル・ニュース 2016年3月25日閲覧。〕。
: 3月27日、天王寺大会にて佐々木大輔とシングル。なお、佐々木はチリの団体マックスルチャリブレの王者であるため「智新戦争勃発」と銘打たれる〔3月27日天王寺大会一部カード決定/チリ王者・佐々木vsシンガポール王者・高梨、ワールドワイドな因縁のシングルマッチ! 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マサ高梨」の詳細全文を読む




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