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佐藤 洋太(さとう ようた、1984年4月1日 - )は、日本の元プロボクサー。第34代日本スーパーフライ級王者。第23代WBC世界スーパーフライ級王者。協栄ボクシングジム所属。岩手県盛岡市出身。担当トレーナーは新井史朗。岩手県立盛岡南高等学校卒業。東北学院大学中退。 == 人物 == 旧姓は「千葉」。祖母の友人夫妻と養子縁組を結んだ関係で「佐藤」に改姓。 既婚で、3人の息子を持つ父親でもある。 趣味はスケートボード(キャリア15年)、将棋、ゼニガメの飼育。また読書家の一面もあり、日本タイトル防衛戦直前の控え室で馳星周『不夜城』を読みふけりトレーナーに呆れられたこともある。 WBC世界スーパーフライ級王座獲得翌日の2012年3月28日、記者会見のためにジムへ向かう途中、警察官に呼び止められ職務質問を受けるハプニングに遭った〔佐藤洋太 職質されちゃった 中日スポーツ 2012年3月29日〕。明るく染めた頭髪、ジャージ姿、前日の試合で顔は腫れ気味、さらに(スケートボードの整備用として)スパナを所持していたことで怪しまれてしまった模様で、佐藤は前日に世界王座を獲ったことを説明したが警察官から信用してもらえず、約10分間、足止めを余儀なくされた。さらに、5月21日の練習後にも警察官に呼び止められたが、持参していたリュックからWBCのチャンピオンベルト(支援者との食事会で披露するためにベルトを持参していた)を取り出し、わずか2秒ほどで解放されたとのこと〔佐藤、また職質された!ベルト見せて解放…WBC世界Sフライ級戦 スポーツ報知 2012年5月24日〕。 上京してからはガソリンスタンドで午前7時から午後5時までアルバイトをしており、世界タイトル獲得後も継続していた。本人は「今までの生活を崩して、歯車が狂うのが怖い。仕事を辞めたら遊んじゃいますよ」と語る。 アマチュアボクシングで大学へ推薦入学するが、アマチュアのしきたりが水に合わず大学を半年で中退し、より自由に活動出来る環境を求めプロへ転向。その後、ストイックな時期もあったが敗戦などを経験し「人生を楽しくするためにボクシングを選んだはず」との原点に立ち返り、ボクシングを“面白い遊び”として捉えるようになり世界チャンピオンまで登り詰めた。また練習方法もロードワークのほかには、ほぼスパーリングしか行わず、長時間行っても疲れるだけで怪我の確率も高まるとの考えから練習を1時間ほどで切り上げるなど、独自のボクシング観を持っていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐藤洋太」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yota Sato 」があります。 スポンサード リンク
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