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マッカリ・ゴーサーラ(パーリ語:Makkhali Gosala、漢:末迦梨瞿舎利、生没年不詳)またはマスカリン・ゴーサーラは、釈迦の活躍した時代に仏教・ジャイナ教と並んで有力だった裸形托鉢教団アージーヴィカを主導した自由思想家。六師外道のひとりで、厳格な決定論を説き、釈迦は彼を最も危険で下等な教えであると断じた。 == 略歴 == マッカリ・ゴーサーラは、巡礼者であった両親が牛舎のなかで雨季を過ごしていたときに生まれたといわれている。 成長したゴーサーラは、ジャイナ教をはじめたヴァルダマーナ(マハーヴィーラ)の弟子として彼のもとで数年間修行し、苦行にいそしんで、呪力を身につけ、それによってアージーヴィカ教の指導者になったといわれる。仏典やジャイナ教典によれば、ゴーサーラは強力な呪術師であった。「呪術の火」によって弟子を失ってしまったことがあったが、この弟子はマハーヴィーラとのあいだの呪術試合ののちに死んでおり、これはマハーヴィーラの呪力に敗れたことを意味している。ミルチア・エリアーデは、これを紀元前485年から紀元前484年に起こった出来事だと推定している〔エリアーデ『世界宗教史3』(2000)p.124〕。 また、ジャイナ教の伝説によれば、ゴーサーラはマハーヴィーラと激しい論戦の結果、没したとされる。これは、十六大国のうちで最も強力だったマガダ国の王アジャータシャトル(阿闍世王)がヴァッジ国に対し戦争を起こした同年にあたり、この戦争は、ブッダの最期〔一般には紀元前486年説(衆聖点記説)が採用されるが、宇井伯寿は紀元前386年説を採っている。〕を告げる『マハーパリニッバーナ・スッタンタ』(涅槃経)に準備段階として登場することから、ゴーサーラの没年はブッダ入滅の数年後と考えられる。 仏典の1つである『義足経上異学角飛経』上では、彼は他の五人の外道と共に語らい、舎衛城で釈迦と神通を競ったが敗れたとある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マッカリ・ゴーサーラ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Makkhali Gosala 」があります。 スポンサード リンク
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