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マツパク ( リダイレクト:松田博資 ) : ウィキペディア日本語版
松田博資[まつだ ひろよし]

松田 博資(まつだ ひろよし、1946年1月29日 - )は日本中央競馬会 (JRA) に所属していた元調教師、元騎手
佐賀県出身。騎手時代は「障害の松田」と呼ばれ、障害競走で通算150勝の中央競馬史上最多記録(当時)を樹立〔日本中央競馬会が発足した1954年以降の記録。それ以前には本田昌雄が障害のみで423勝を挙げている。〕。調教師転向後は、それぞれ2007年、2010年のJRA年度代表馬に選出されたアドマイヤムーンブエナビスタクラシック二冠牝馬ベガ、その産駒でGI競走7勝を挙げたアドマイヤドンなど、数々のGI優勝馬を管理している。2006年度JRA賞優秀技術調教師、2006年・2007年度同最多賞金獲得調教師。愛称は「マツパク」。
== 経歴 ==
1946年、両親が満州国から日本へ移る途中の引揚船の中で生まれ〔芦谷(1999)p.52〕、幼少期は福岡県小倉市(現・北九州市)で過ごした。父・和要武(とよたけ)は小倉競馬場で騎手、のちに佐賀競馬場で調教師として活動し、その影響を受けて早くから騎手を志していた〔木村(1997)p.419〕。中学校卒業後、東京都世田谷区馬事公苑騎手養成長期課程に入所。同期生には菅原泰夫嶋田功らがいる。2年次から中山競馬場稗田敏男厩舎で研修に入ったが、稗田の妻との折り合いが悪く、研修が終わったあとに京都競馬場上田武司厩舎に移籍〔木村(1997)p.420〕。1964年、上田厩舎から騎手としてデビューした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松田博資」の詳細全文を読む




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