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マリー・テレーズ・ド・サルデーニュ(Marie Thérèse de Sardaigne)またはマリー・テレーズ・ド・サヴォワ(Marie Thérèse de Savoie、1756年1月31日 - 1805年6月2日)は、アルトワ伯シャルル・フィリップ、のちのフランス王シャルル10世の妃。夫の即位前に他界したため、王妃にはならなかった。イタリア語名マリーア・テレーザ・ディ・サヴォイア(Maria Teresa di Savoia)。 サルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ3世と王妃マリーア・アントニエッタ(スペイン王カルロス3世とエリザベッタ・ファルネーゼの娘)の三女として、トリノで生まれた。シャルル10世らの祖父ルイ15世の母であるマリー・アデライード・ド・サヴォワはマリー・テレーズの大伯母にあたる。 姉マリー・ジョゼフィーヌ(マリーア・ジュゼッピーナ)は1771年にルイ16世の弟プロヴァンス伯ルイ・スタニスラス(のちのルイ18世)と結婚していたが、マリー・テレーズも1773年11月にプロヴァンス伯の弟アルトワ伯と結婚した。1775年には兄カルロ・エマヌエーレ4世が夫の妹クロティルドと結婚している。 マリー・テレーズではなく、コンデ公ルイ5世ジョゼフの娘ルイーズ・アデライードとの結婚を望んだという夫との結婚生活は不幸だった。彼女は、義理の姉マリー・アントワネットとの付き合いを避けたにもかかわらず、当時のフランス宮廷で民衆から最も嫌われた王族の一人だった。 1789年、フランス革命勃発後にフランスを家族で脱出した。1805年、亡命先のグラーツで死去し、アルトワ伯爵夫人として、グラーツ大聖堂に葬られた。 == 子女 == * ルイ・アントワーヌ(1775年 - 1844年) アングレーム公、王太子 * ソフィー(1776年 - 1783年) * シャルル・フェルディナン(1778年 - 1820年) ベリー公 * マリー・テレーズ(1783年、夭折) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マリー・テレーズ・ド・サルデーニュ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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